9.子供の認知と母性愛 その2 今日では子供を使役の対象とは見ない。 しかし、学校のない伝統的社会においては、子供は貴重な労働力だった。 そして、社会保障のない農耕時代には、子供は大人たちの老後の保障だった。 子供がいなければ、自分たちの老後の生活に支障がでる。 大人たちは育てた恩を子供に教え、それを返すようにしむけた。 時とすると母という女性は、大人たちの義務として子供を育てた場合すらあった。 社会の全員が個体維持を優先させていた伝統的社会では、小さなものへの愛玩は生まれるかもしれないが、女性にだけ特有の母性や母性愛の賛美は生まれようがない。 子供の誕生や成長を祝う習慣のあったことが、母性愛の存在だと勘違いさせる。 しかし、子供は次世代を担うものとして、大人の誰にとっても大切なのであり、女性の存在証明として大切なのではなかった。 だから、大人から子供への愛情が氾濫する今日とはむしろ反対に、子供から親への孝行が謳われた。 近代の入り口で論理を獲得した男性は、神を殺しそして神の代理人たる父を殺した。 ここで男性は裸の個人になった。 女性は裸の個人になれなかった。 体力の非力さが無化されず、論理を獲得できなかったので、女性はより劣位におとされた、とは前述した。 そのため、個体維持から外された女性は、種族保存をもって自己の存在証明とせざるを得なくなった。 近代社会にあっては、肉体としての個人的な女性ではなく、母なる地位だけが女性性の表現になってしまった。 個体維持を担ってさえいれば、非力な女性といえども、人間としての尊厳を主張できた。 男女の腕力の違いは、単なる量の問題に過ぎない。 伝統的社会では、女性といえども貴重な労働力だった。 だから、母という特別の支えがなくても、女性は男性に拮抗できた。 近代にはいって個体維持から外された女性は、種族保存の専従者という男性とは異質の、社会的な役割を担わされた。 種族保存に固有の思想的な支柱をうみださないと、女性の社会的存在が支えられない。 女性の社会的な役割を反映したそれは、母性であり母性愛だった。 父子のあいだより、母子のあいだのほうが近くなった。 何によりも優先して、子供に無限の愛情を注ぐ母性愛がうたわれた。 ときには自分をも犠牲にしてまで、子供を助ける母親像が確立された。 労働力としてなら、男女は入れ替わることが可能である。 しかし、子供を産む母という立場は、男性が入れ替わることは不可能である。 女性は人間としての普遍性を捨てて、女性の特異性にこだわった。女性は自らを母へと限定した。 近代社会では、女性は一人の女性ではなく、神に支えられた母=母性として生きるようになった。 しかもその母には、母性愛が本能的に備わっていることになった。 近代の入り口で父殺しが先行したので、父は抹殺され消滅した。 神殺しに参加しなかった女性は、母を殺さなかった。 そのため、母は抹殺もされず消滅もしなかった。 女性は、神に祝福される母という立場を、伝統的社会から引きずった。 近代の核家族に生きることを強いられた女性は、一人の女性としてではなく、母としてしか生きることができなくなった。 同時に、生めない女性は、悲劇的な存在になった。 母性愛に満ちた母が、男性の社会的な立場に相当する女性の地位となった*52。 父対母もしくは男性対女性ではなく、男性対母になったのである。 近代では男性は強く、女性は弱い。 しかし、弱いはずの女性は、母となった。 近代の母は、神と共にいるから強いのだ。 近代においてどんなに男性が強くても、母には刃向かわなかったし、また母には勝てなかったのである。 女性が個体維持を担わずに種族保存に特化した時代、つまり近代の核家族になって女性の存在を支えたのが母性であり、その心性を母性愛と呼ぶようになった。 母性や母性愛の賛美は、自分の生んだ子供を女性が自己の存在証明とした反映である。 母性の強調とか母性愛の賛美は、工業化した核家族の近代社会に特有のものである*53。 |