母殺しの思想−フェミニズム誕生の意味するもの
    匠 雅音著 2001.8.20
目  次
1. はじめに 7.ウーマニズムな女性運動
2.農耕社会から工業社会へ 8.フェミニズムの誕生
3.神とその代理人たる父の死 9.子供の認知と母性愛
4.新たな論理の獲得 10.母殺しの意味するもの
5.機械文明の誕生 11.おわりに
6.電脳的機械文明の誕生  
                 
9.子供の認知と母性愛  その2

 今日では子供を使役の対象とは見ない。
しかし、学校のない伝統的社会においては、子供は貴重な労働力だった。
そして、社会保障のない農耕時代には、子供は大人たちの老後の保障だった。

 子供がいなければ、自分たちの老後の生活に支障がでる。
大人たちは育てた恩を子供に教え、それを返すようにしむけた。
時とすると母という女性は、大人たちの義務として子供を育てた場合すらあった。

 社会の全員が個体維持を優先させていた伝統的社会では、小さなものへの愛玩は生まれるかもしれないが、女性にだけ特有の母性や母性愛の賛美は生まれようがない。
子供の誕生や成長を祝う習慣のあったことが、母性愛の存在だと勘違いさせる。

 しかし、子供は次世代を担うものとして、大人の誰にとっても大切なのであり、女性の存在証明として大切なのではなかった。
だから、大人から子供への愛情が氾濫する今日とはむしろ反対に、子供から親への孝行が謳われた。

 近代の入り口で論理を獲得した男性は、神を殺しそして神の代理人たる父を殺した。
ここで男性は裸の個人になった。
女性は裸の個人になれなかった。
体力の非力さが無化されず、論理を獲得できなかったので、女性はより劣位におとされた、とは前述した。
そのため、個体維持から外された女性は、種族保存をもって自己の存在証明とせざるを得なくなった。

 近代社会にあっては、肉体としての個人的な女性ではなく、母なる地位だけが女性性の表現になってしまった。
個体維持を担ってさえいれば、非力な女性といえども、人間としての尊厳を主張できた。

 男女の腕力の違いは、単なる量の問題に過ぎない。
伝統的社会では、女性といえども貴重な労働力だった。
だから、母という特別の支えがなくても、女性は男性に拮抗できた。

 近代にはいって個体維持から外された女性は、種族保存の専従者という男性とは異質の、社会的な役割を担わされた。
種族保存に固有の思想的な支柱をうみださないと、女性の社会的存在が支えられない。
女性の社会的な役割を反映したそれは、母性であり母性愛だった。

 父子のあいだより、母子のあいだのほうが近くなった。
何によりも優先して、子供に無限の愛情を注ぐ母性愛がうたわれた。
ときには自分をも犠牲にしてまで、子供を助ける母親像が確立された。

 労働力としてなら、男女は入れ替わることが可能である。
しかし、子供を産む母という立場は、男性が入れ替わることは不可能である。
女性は人間としての普遍性を捨てて、女性の特異性にこだわった。女性は自らを母へと限定した。
 
 近代社会では、女性は一人の女性ではなく、神に支えられた母=母性として生きるようになった。
しかもその母には、母性愛が本能的に備わっていることになった。

 近代の入り口で父殺しが先行したので、父は抹殺され消滅した。
神殺しに参加しなかった女性は、母を殺さなかった。
そのため、母は抹殺もされず消滅もしなかった。
女性は、神に祝福される母という立場を、伝統的社会から引きずった。

 近代の核家族に生きることを強いられた女性は、一人の女性としてではなく、母としてしか生きることができなくなった。
同時に、生めない女性は、悲劇的な存在になった。

 母性愛に満ちた母が、男性の社会的な立場に相当する女性の地位となった*52
父対母もしくは男性対女性ではなく、男性対母になったのである。
近代では男性は強く、女性は弱い。
しかし、弱いはずの女性は、母となった。

 近代の母は、神と共にいるから強いのだ。
近代においてどんなに男性が強くても、母には刃向かわなかったし、また母には勝てなかったのである。

 女性が個体維持を担わずに種族保存に特化した時代、つまり近代の核家族になって女性の存在を支えたのが母性であり、その心性を母性愛と呼ぶようになった。
母性や母性愛の賛美は、自分の生んだ子供を女性が自己の存在証明とした反映である。
母性の強調とか母性愛の賛美は、工業化した核家族の近代社会に特有のものである*53

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