母殺しの思想−フェミニズム誕生の意味するもの
    匠 雅音著 2001.8.20
目  次
1. はじめに 7.ウーマニズムな女性運動
2.農耕社会から工業社会へ 8.フェミニズムの誕生
3.神とその代理人たる父の死 9.子供の認知と母性愛
4.新たな論理の獲得 10.母殺しの意味するもの
5.機械文明の誕生 11.おわりに
6.電脳的機械文明の誕生  
                 
1.はじめに

 軽く透きとおった情報社会が到来した。
知識という無色で無形なものが、有償で取り引きの対象になる時代を、情報社会と呼ぶことにする。
ところで、1760年頃から1830年頃にかけて、イギリスにおける紡績機械の改良に端を発し、工業化によって経済・社会組織が飛躍的な変革をとげたのを、産業革命と呼ぶのは周知であろう。

 本論では、近代なる言葉は工業化と同義に使い、工業化した社会を近代社会と呼ぶ。
そして、前近代とは産業革命以前の社会のことをいい、産業区分でいえば第一次産業つまり農耕社会をさすことにする。
新たな産業社会が見え始めた現在に、近代もしくは現代とは如何なる時代なのかを考察してみたい。

2.農耕社会から工業社会へ

 農耕社会を言い換えると伝統的な社会ともいう。
そこでは土地を対象として人間は労働した。
大地は恵みをもたらしただけではなく、人間を教育して農耕社会に特有のゆったりした性格を形成させた。
当時の社会には、近代化された今日の我々には、想像もできない生活と精神活動とがあった。
たとえばM・ウェーバーは、伝統的な社会に関して次のようにいっている。

 「人は『生まれながらに』できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ質素に生活する、 つまり、習慣としてきた生活を続け、それに必要なものを手に入れることだけを願うに すぎなくなる」*1

 農耕社会では生産向上の欲望が生まれても、それは慎ましいものだった。
土地という限られたものを労働の対象にしているところでは、生産活動の欲望が無限に拡大することはあり得ない。
人間の欲望は、土地の生産性を超えることはできなかった。
当時は電気がなかったので、夜間の残業もなかったし、24時間操業など不可能だった。

 朝には太陽が昇り、夕べには太陽が沈む。
人間も朝に起きだし、夕べには床につく。
自然のくり返しの中で環境という自然の掟に従って、日々をくり返すのが人間たちの生き方だった。

 農耕社会の生活にも、喜怒哀楽といった精神活動があったことは事実であろう。
しかし、農耕という産業しかない社会と今日の工業社会とでは、生活様式の違いに止まらず、大きく異なる精神活動があった。
それをM・フーコーは、次のように表現している。

 
「18世紀末以前に、『人間』というものは実在しなかったのである。…『人間』こそ、知という造物主がわずか200年たらずまえ、みずからの手でこしらえあげた、まったくの最近の被造物に過ぎない」*2

 そのため伝統的な社会には、人間に固有の私性、つまりプライバシーという概念もなかった。
たとえあったにしても、今日ほどには重要視されることはなく、地域とか家系といった概念が人間をより強く拘束していた。

 伝統的社会では科学が未発達だった。
そのため、霊や魂といったものが、人間の心中に現代社会よりずっと強く大きな場所をしめていた。
論理に基づく科学的な思考が存在しなかったので、人力の及ばない自然現象を神が支配していると考え、人間も神によって生かされているとみなしていた。

 伝統的な社会では、神は全能であった。
人間は神の加護のもとで、平穏に暮らしていた。
農耕が主な産業である地域では、どこでも人間は神に感謝を捧げている。

 この時代には、神は山であり、海であり、目に見えるすべてであった。
もちろん人間も、神が作った自然の一部だった。
そして、台風や雷また野原から街まで、神は自然そのものだった。
農耕社会の神とは、自然の別名だといっても良い。

 「時間は、自然や神に根をもつ現象から、機械すなわち時計にもとづく、いわば勝手に決められた抽象的な量にとって代えられた」*3

とマイケル・オマリーもいうように、1700年頃に機械式の時計が一般へとひろく普及し、ここで時間の質も変わりはじめた。
時計は正確な時間を守ることを、人間に強いるようになり、産業革命が準備されはじめた。

 夜も明るい今日からは、当時の夜の暗さは想像もつかない。
産業革命とともに工業社会が夜に光をもたらすまで、人間の生活は地球環境のなかに自然の掟とともにあった。
夜なべ仕事は、おぼつかない行燈のもとで、家の中でごく小規模になされたのである。

 農耕以外に工業という産業が生まれ、工業が人間の社会を支えるもう一つの方法になった。
工業社会の発展とともに、仕事は昼間するものとは限らなくなった。
多額の設備投資をした工場を、夜のあいだ遊ばせておくのは、企業家の欲望が許さなかった。
人工的な照明によって煌々と照らし出された職場では、残業が当たり前になったし、24時間の3交代勤務が始まった。

 ここでいう仕事は、もちろん農耕ではない。
工業が新たに生み出した働く場所、つまり工場や会社での労働である。
労働とは、土地を相手にしたものではなく、物を相手にしたものへと変化していたのでもあった。

 農耕社会では土地の限界に縛られて、労働は無限の生産性向上をめざせなかった。
しかし、農耕以外に口を糊する方法を見つけた人間は、働けば働くほど大きな収穫=利潤が入手できるように感じたので、労働は24時間にわたって続けられた。

 時代の精神は新しいものを良しとし、生産の拡大を是とするようになった。
機械の時間に支配された工場の発生は、人々の生活の形をもかえた。

 伝統的な社会では、その結果が農繁期と重ならないようにするため、男女の交わりは春から夏のあいだに行われた。
つまり、子供の誕生ですら農業労働の繁忙に従った。
それが近代の工業社会に入ると、

 「出産に当たって考慮されるべきものが、農事暦から無季節性の社会歴に変化した」*4

のである。

 今日では農業といえども、工業生産の成果の上に成り立っている。
化学肥料の使用からはじまって遺伝子工学や生殖技術の応用など、先端的な技術が農業にもつぎ込まれている。
そのため、今日の先進工業社会における農業は、前近代つまり農耕社会の農業と似てはいるが異なったものとなった。

 もはや農業といえども、自然の恵みを受けるだけではなく、極大利潤を追求するものになった。
だから近代社会では、農業も工業もすべての生産における欲望が、無限に拡大し始めたのである*5

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