母殺しの思想−フェミニズム誕生の意味するもの
    匠 雅音著 2001.8.20
目  次
1. はじめに 7.ウーマニズムな女性運動
2.農耕社会から工業社会へ 8.フェミニズムの誕生
3.神とその代理人たる父の死 9.子供の認知と母性愛
4.新たな論理の獲得 10.母殺しの意味するもの
5.機械文明の誕生 11.おわりに
6.電脳的機械文明の誕生  
                 
5.機械文明の誕生

 神の庭から論理を盗んだ男性たちは、よってたかって神を殺した。
1687年に「プリンキピア」を著し、万有引力を発見し天体の運行法則を見つけたニュートンしかり、

 「我々は、最高善としての神の概念を、どこから得たのだろうか。ほかならぬ理念から得たのである」*27

と、1797年「道徳形而上学原論」において神の不在を暴いたカントしかり。
1859年11月24日に「種の起源」を著し神の死を決定づけたダーウインしかり…。*28
無数の男性たちが、こぞって神殺しに参加した。

 自然の法則が、次々と発見された。
男性たちはそれまで神の御手になる、とされていた世界の秩序を、白日の下に暴き出した。

 後年、恐ろしさに打ち震えながら神から自立したとき、男性は機械文明を作り出していた。
蒸気機関や内燃機関の発明、飛行機の登場などなど、論理的な思考に基づいて男性たちが創ったものは枚挙にいとまがない。
物を労働の対象とする工業社会が始まったのである。

 工業社会は、田や畑という大地の上から工場という室内に、働く場所を移動させた。
初期工業社会の機械は、油まみれで騒音をふりまき原始的だった。
よく故障もした。

 しかし、機械は人間の肉体に代わって、屈強な力が必要な仕事をいともたやすく消化した。
機械は強大な生産力を誇った。
機械は単純作業のくり返しだった伝統的社会の、過酷な肉体労働から人間たちを、たちまち解放するはずだった。

 農耕社会は工業社会によって浸食されて、徐々に崩壊していった。
農業に従事する肉体労働者は過剰になった。
農村を追われた労働者はちまたにあふれ、生きるためには労働力を売らざるを得なくなった。
だから、過酷な農耕作業から過酷な工場労働へと、働く庶民にはその過酷さは変わらなかった。
むしろ農耕社会から弾き出されて、都市部へと流れざるを得なかった庶民には、より過酷な生活が待っていた*29

 都市へ多くの人が流れ込んだから、都市の自浄力はたちまち限界を超え、居住環境は破壊された。
初期工業社会では、西洋でもわが国でも都市部ではスラムが発生し、環境の悪化が進んだ。
ロンドンのテムズ川に限らず、河川や空気は汚濁にまみれることになった。
たとえば、クリストファー・ヒバートは次のようにいう。

 「1849年には、ロンドンの排水施設が原因となって、またロンドンの218エーカーに及ぶ浅くて超満員の墓地の胸の悪くなるほどひどい状態や、煤煙を含み病気を蔓延させながら街路を漂う霧のせいもあって、極めて恐ろしいコレラが発生し、猖獗を極めていた時期には、1日400人の死者が出た。大部分は貧民街の住民であり、貧民街は不潔を極め、その状態は凄まじく、セント・ジャイルジズの貧民窟では、ほぼ3,000人が、100戸以下に詰め込まれており、彼等自身の下水汚物でほとんど窒息するばかりの状態であった」*30

 明治初期から中葉にかけて、近代に入っていたわが国でも、事情はまったく同様だった。
紀田順一郎の言葉を見よう。

 「ノスタルジーとは、いわば望遠鏡を逆さに覗くようなものである。まっとうに覗けば、万年町のみならず、それと合わせて三大スラムと称された四谷鮫ヶ橋や芝新網町のほか、貧民の多かった地域として下谷区山伏町、浅草松葉町、本所吉岡町、深川蛤町一〜二丁目、本郷元町一〜二丁目、小石川音羽一〜七丁目、京橋岡崎町、神田三河町三丁目、麹町一丁目、赤坂裏一〜七丁目、牛込白銀町、麻布日ヶ窪、日本橋亀島町などがただちに見えてくるはずである」*31 
 
 戦後になっての話、東京は隅田川の汚濁は有名だった。
牛込柳町の空気汚染が深刻だったことは、記憶に新しい。
工業化にともなう都市への人口集中を、いま経験しているアジアでは、先行諸国がかつて体験したのと同じ現象が現在進行中である。
穂坂光彦の観察を見てみよう。

 「(ソウルでは)1988年のオリンピックに向けて拍車のかけられた『都市の近代化』のために、100万人を越える人々が強制立ち退きの対象となり、穴居生活や野菜栽培のビニールハウスに住むことを余儀なくされた。…アジア諸都市の数億の貧しい人々は、路上、橋のたもと、ゴミの山の上、鉄道敷、墓地、排水路、河川敷、湿地、崖下、ビルの屋上、ドヤ、木造家屋密集地区、老朽狭小家屋に住んでいる」*32
 
 土地への労働に従った農耕社会の人間と異なり、物の生産に従事する近代人は、身分や血統といった属性に拘束されなくなった。
近代社会には、貴族もいなければ王様もいない。
市民と呼ばれる成人男性は、人権を身にまとって全員が平等である。

 土地から物への労働対象の移動は、軽薄でめまぐるしく変わる物質主義や拝金主義をうんだ。
近代では、労働が土地の拘束から切り離されたから、人間は身分や血筋にこだわらなくなり、個人の自由が謳歌された。
と同時に、実力で成り上がる社会となった。

 近代人たちは生活の必要を越えて、生産における欲望を無限に拡大させた。
前近代では、神の代理人だった王のみが富んでおり、庶民は全員が貧乏だった。
しかし、近代の入り口では、平等になった市民のなかから、富める者がうまれ貧富の差が拡大した*33

 資本家は神からの授権を受けたものではない。
資本家は身分や血筋が特別なわけではない。
平等なる人間という観念が、資本家の存在を支え、労働者への収奪を正当化した。
借金を返せない者は、殺人犯と同じ犯罪者と扱われた。
自由と平等が、庶民のなかに貧富の格差を生んだのである。

 労働する庶民は無限に存在するわけではない。環境も放置しておけば、自動的に改善するのでもない。
より一層の利益を上げるためには、労働者の待遇を改善し、環境を浄化しなければならなかった。

 度重なる不況に襲われて、極大利潤の追求は単線的には進まなかった。
豊かさへの欲望は環境を改善させ、社会福祉を導入させた。
そして、それがまた豊かさとなって返ってきた。

 頭脳をつかった論理的な思考が、人間の肉体的な力を充分に凌駕した。
頭脳の優秀さを大切にするほうが、生産をより向上させ得た。
単純作業を担う肉体より、論理を司る頭脳が優位になった。

 広い範囲にわたって教育を普及させ、識字率を向上させることが、よりいっそうの頭脳労働へと人々を誘った。
近代社会は、競って肉体労働から頭脳労働への転換をはかっていた。

 男性内において肉体の頑健さから、頭脳の優秀な働きへと、人間の評価が移動した。
ここで肉体的に非力な女性が、社会的に台頭する条件ができたが、工業社会という機械文明は未成熟だった。
その機械は知能を持たず、屈強な男性の肉体労働の代替に過ぎなかった。
この時代は、人間の肉体労働と機械の肉体労働の対置だったので、女性は男性に従わざるを得なかった。

次に進む