母殺しの思想−フェミニズム誕生の意味するもの
    匠 雅音著 2001.8.20
目  次
1. はじめに 7.ウーマニズムな女性運動
2.農耕社会から工業社会へ 8.フェミニズムの誕生
3.神とその代理人たる父の死 9.子供の認知と母性愛
4.新たな論理の獲得 10.母殺しの意味するもの
5.機械文明の誕生 11.おわりに
6.電脳的機械文明の誕生  
                 
10.母殺しの意味するもの  その2

 女性が論理的な思考を体得しないことは、女性自らが男性より劣位にいることを意味する。
なぜなら、個体が維持された結果として、種族は保存されるのであり、その反対はあり得ない。
だからいつの時代でも、個体維持が種族保存に優先する。
社会は個体維持を担うものを、より大切にせざるをえない。

 神の死は伝統的社会の崩壊を意味し、父殺しは農耕社会までの男性が担った旧体制に対する挽歌だった。
母殺しは工業社会までの肉体支配という旧体制への決別の歌である。

 母を殺すことによって、女性は工業社会までの立場による拘束から解放され、男性と同様に裸の個人になることができる。
父殺しがそうだったように、母殺しこそ女性自立の証である。

 神からの自立が神殺しであったように、そして、ヒューマニズムが男性にとって神殺しの思想的な支えだったように、自分たちのよって立つ自然や神の支えつまり母を殺すのも、またフェミニズムである。

 フェミニズムは自立の思想であり、女性が生みだした神殺し、母殺しの偉大な思想である。
フェミニズムこそ新たな思考であり、女性に知の世界を開いたものである。

 近代の入り口で、男性がヒューマニズムを生み出したとすれば、情報社会の入り口で、女性はフェミニズムを生みだした。
両者は手を携えて神を死に追いやっている。
神を死に追いやることによって、人間の生命を至上のものとすることができる。

 神ではなく、人間が人間の存在や価値を決定する。
神が生きている限り、人間は今生の支配者ではない。
神を殺した男女が協同して、人間讃歌を確立しようとしている。

 「女性抑圧の原因は、生物学的な母性であるとして、フェミニズム革命は野蛮な妊娠と出産から女性を解放する新しい生殖技術によってもたらされる」*54

とシュラミス・ファイアーストーンは述べる。
しかし本論では、生理的な事実としての生殖行為や、妊娠・出産をいっているのではない。
もちろん体外受精やクローンなど生殖技術の進歩が、生殖を肉体から離れさせることをいっているのでもない。

 父を殺しても男性の生理機能にはまったく変化がないように、母殺しと妊娠・出産とは直接の関係を持たない。
なぜなら男性が殺したのは、知と力そして経済力に秀でた立場にいる父であり、生殖能力をもった男性自身ではない。

 男性が殺したのは、父という立場である。
そして、女性が殺すのも、子供を産んだがゆえに手に入れる立場としての母であって、生殖能力をもった女性自身を殺すのではない。
女性が母を殺しても、女性が子供を妊娠・出産するのはかわらない*55

 工業社会まで、母は強かった。
偉大だと神からも男性からも賞賛された。
おおくの聖母像が描かれもした。母は男性にも子供にたいしても、立派な存在として自己を対置させえた。

 手の仕事が、人間の日常生活を支えていた時代には、母なる女性の仕事は無限にあった。
それを消化しないと、生活がたちいかなかった。
男性は父として個体維持を担って額に汗して働き、女性は母としてコマネズミのように働いた。
だから、父は偉大だったし、母は輝いていた。

 子供が少なくなった情報社会では、山のような家事労働は存在しない。
母にはなすべき仕事が、圧倒的に減ってしまった。
もはや母は決して偉大ではない。
子供を生むという母なる立場も、女性の存在証明にはならない。

 女性は母としてではなく、考える一人の女性として、そして一人の人間として存在する。
個体維持において、ここで女性は直接性を回復した。

 情報社会では男性は父なる地位には、自己の存在証明を見いださない。
同じように立場としての母に、女性は存在証明を求めることができない。
そして、もちろん子供は別の人格であり、子供を自己の存在証明とすることはできない。

 女性が自然や神に守られた立場を自ら捨てること、つまり女性が母を殺すこと、これが女性にとっての自立である。
女性は母を殺してこそ、人間として自立できるのだ。

 男性たちはすでに父を殺している。
今、女性によって母が殺されている。
近代の入り口で、男性が神を殺し父を殺した。
電脳的機械文明への移行と共に、女性が母を殺し神の死にとどめを刺している。

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