「単家族」の誕生−新たな時代への家族論
「単家族」の誕生

目  次
はじめに−等価なる男女
第1章 家族構造の変遷
1.農耕社会の属性 2.家庭と仕事の分離 3.有償労働の成立
第2章 家庭内労働の分離
1.家事労働の衰退 2.家事労働と子育て 3.単家族の成立

第2章 家庭内労働の分離

2.家事労働と子育て

 掃除・洗濯・炊事などの家事労働は、ますます減るとしても、たった一つだけ決してなくならないものがある。
それは子育てである。
次世代を育てる子育てだけは、どんなに機械が進歩しても、絶対に機械にはできない。
子育ては様々な雑務を要求するが、家事労働一般の省力化は、子育てにあっても、その担当者を子育てに付随した雑務から解放する。
たとえ雑務がまったくなくなっても、子供は存在する。
だから、それらの雑務を取り除いたところに、子育ての本質があると見なしたほうが自然である。


 農耕社会での話であるが、裕福な家庭では、子育ては乳母などが担当し、子育てにまつわる雑事に母親は手をださなかった。
それでも、乳母が子供を育てたとは、誰も見なかった。
姑が子育てを相当に援助しても、子供を育てているのは、母親であることは間違いなかった。
工業社会の話、託児所に子供を預けても、事情は同じである。
起きているあいだに、子供と接する時間は、親より保母さんのほうが長いかも知れない。
もちろん保母さんは、雑事を処理してくれる。
しかし、保母さんが子育てをしているとは、誰も思わない。
子供と接触する時間が保母さんより短くても、雑事をしなくても、子育てをしているのは母親であり父親である。

 農耕社会では、女性が子育ての専従者であっても、男性も家にいたので子育ての手助けができた。
そして、大家族だった農耕社会では、家にいるすべての人間が子育てにかかわっていた。
そのうえ、農繁期の仕事は共同作業となることが多かったので、働く女性同士で助け合えた注-22
工業社会になって核家族が登場したとき、男性は職場へと働きに出かけ、女性が家庭に残った。
しかも、仕事は各家庭単位になった。
そこで家事労働を女性が担当したように、子育ては女性の仕事になり、男性は手をださなくなった。


 工業社会の進行とともに、職場における生産労働は技術革新的になり、それに従事する人間を強く拘束した。
職場労働に全身全霊を捧げなければ、仕事についていかれなくなったのである。
そして、家の収入を一人で背負った男性は、女性や子供たちからの期待を、一身にになって職場労働に邁進した。
生産と直結した職場労働は、生産力向上をめざして、工夫と努力がいくらでもできた。
職場労働は充実感や達成感を入手できた。
農耕社会でも生産労働を担っていた男性は、ますます生産労働たる職場労働にのめり込んでいった。
男性が職場労働に時間をすごすあいだ、女性は家事労働に勤しんだ。
ところが、男性の職場労働が工業社会の発展にともなって、忙しくなってきたのとは反対に、工業社会の進展とともに、家事労働は減少してきた。

 生産を担う人間は、何も語らなくても存在意義がある。
生産を担えば、生きているだけでいい。
しかし、生産を担わない人間には、生産が支えてくれる自らの存在意義がない。
生産を担わない人間は、社会の負担である。
生産を担わない人間が生きていくためには、自己正当化の理由を作らなければならない。
専業主婦も当初、山のような家事労働を消化せねばならなかったので、存在理由があったように見えた。
しかし、家事労働は生産と直接には結びついておらず、家事労働を人間の存在理由にはできなかった。
ましてや工業社会の進行と同時に、家事労働は大きく減少した。
減少した家事労働が、女性の存在意義を確保しないのは明白である。


 女性は専業主婦たろうとする限り、家事労働が極小化するのと平行して、家事労働者としてだけではなく、人間としての存在意義がないことが明白になってしまった。
そこで女性とりわけ専業主婦は、唯一残った家事労働つまり子育てに着目した。
困難な子育ては、女性が優先する女性特有の仕事であると言うことによって、女性の存在理由を確保しようとした。
工業社会の進行とともに、家事労働が減少するなかで、子育ては専業主婦の最後の仕事になってきた。


 農耕社会では、子育てより日々の生産労働の方がはるかに厳しいものだったことは、女性たちはたちまち忘れてしまった。
ほんとうの話しは、厳しい生活の合間に、むしろ息抜き的に子育てはなされていたのであるが、なすべき仕事を失った女性は、子育てを自らの生産労働に置き換えた。
厳しく困難な子育ては、女性に与えられた使命であり、女性はそれを健気に成し遂げている。
子供を生み育てるという重要な仕事を女性が担当している。
女性が遂行している子育ては、人類に対する崇高な仕事だと言うことによって、女性特有の位置を確保しようとさえした。
幸か不幸か家事労働のなかで、育児だけが機械に置き換えることができない。
そのため、女性の存在価値を、育児の困難さにおいていても、女性の地位は守られるように見えた。


 家事労働は、何も生産しない。
それは、消費することでしかなかった。
消費に特化した専業主婦は、新たなものを生みだす契機を失った。
生産から離れることは、将来に向けての改良や発明への関心を失うことだった。
消費とは与えられたものを使うことだから、自ら働きかける能動性は不要になった。
消費のみにかかわる専業主婦は、目の前に提出されたものを選択する能力をもつだけで、新たなものを自ら発信できなくなった。

 自らを消費者へと特化させていくことは、既成の価値観を絶対のものとして信じ、現存の社会を固定したものとして受け入れることである。
専業主婦となった女性は、自ら環境に積極的に働きかけるのではなく、受動的になった。
まわりの誰かが自分に対して、何かをしてくれるのを待つようになった。
専業主婦である女性は生きる手ごたえを、夫である男性を通してしか、入手できなくなったのである。
しかし工業社会になっても、農家や商店の主婦は、有償労働=生産労働に従事していた。
彼女たちは、仕事に鍛えられているので積極的であり、受動的ではない。


 農耕社会で、女性が子育ての担当者たり得ていたのは、自らも男性に互して生産労働に従事していたからである。
農耕社会であっても、女性が生産労働をしていたがゆえに、女性の存在基盤は直接社会に存立させることができた。
女性は生産を担う人間であるがゆえに、新たな生命に自らをして時代を担う姿を見せることができたのであった。
しかし、生産活動から離れた人間が子育てをすることは、原理的にいって無理だった。


 生産活動を担わなくてもすむ人間が生きていける社会は、やがて生産活動が最も大切な価値なのだという認識を失わせた。
専業主婦の存在を許す社会では、客や上司に文句をいわれながら、まじめに働かなくとも、専業主婦になれば人間は生きていけるのである。
専業主婦の存在は、女性に限らず労働に対する無関心を蔓延させ始めた。
必死で働き社会的な生産を担うことは、愚かなことだと見なす風潮を作りだしたのである。
すべての人間が生産活動を放棄したら、社会はたちいかない。
それをくい止めるために、男性の責任が強調されたことは、簡単に想像できるであろう。
仕事は男の甲斐性とか、男性は仕事に打ち込む生き物だということが、声高に宣伝されたのである。
専業主婦が子育てに執着すればするだけ、男性は職場労働へ熱中していった。


 職場労働は、生産につながっているがゆえに、男性には生きる手ごたえがあった。
生産労働に従事する男性は、職場労働が忙しいことを理由に、子育てに手をださなくなった。
農耕社会では、家族の全員で子育てにあたったが、いまや専業主婦が一人で子育てにあたるようになった。
しかし、生産労働に従事しない専業主婦の子育てには、さまざまな歪が発生せざるをえなかった。


 生産労働の代替としての子育ては、専業主婦のほうから子供に働きかけ、子供を作業対象と見なすようになった。
専業主婦は子育てに労働の手応えを求めた。
自らの希望を、子供をとおして実現しようとし、自身の希望を子供に託すようになった。
そして、自らの存在証明を子供に求めた。
そのため、子供の自発性より、専業主婦の価値観や人生の押しつけが発生した。
そこでの育児は、強いられた育児=飼育労働になった。
家庭内外での男女の役割分担が、固定化していくなかでの育児は、専業主婦の人間性を歪曲させ、子供の成長を伸ばす姿勢を失わせた。


 農耕時代の子育てのように、子供は子供の自主性にまかせて、ほっておかれなくなった。
おむつは3才までにとるべきだと言われれば、専業主婦は、それにしたがって子供に対応した。
添い寝は悪いと言われれば、それをやめた。
農耕社会の女性が生産を担ったがゆえに、自らの価値判断ができたのに対して、専業主婦は判断の基盤を失い、自らの主体性を失っていった。
専業主婦は、子供の遊び方まで指示されるようになった。
子供は自発性を押さえられて反発した。


 小さな子供は、大人である専業主婦には、知力・体力ともに太刀打ちできるわけがない。
子供の自主性はねじ曲げられて、潜在化せざるを得なかった。
子育てが子供の自発性を押さえることになり、別の人格である女親の価値観を押しつけたから、子育ては困難になり苦行になった。
しかし、専業主婦は子育てから身を引いたら、自らの存在価値がなくなるので、子育ては女性のものだとして手放さなかった。
専業主婦と女性は同じではないにもかかわらず、専業主婦=女性一般と見なしたのである。
反発する子供に悩む女親は、自分の育児の仕方が悪いと思い、ますます規制を増やしていった。
そして、困難な仕事を遂行する自分の姿に、自己犠牲的に陶酔したのである。
と同時に、職場労働に没頭する男性は、ますます家庭を省みなくなった。


 女性は子供を生むものだ、女性は子供を育てるものだ、と考えるところからは、子供を生まない女性に対する差別が生じる。
しかし、誰も専業主婦の子育てを、止められなかった。
職業労働に従事している女性は、圧倒的に少数派だったし、誰かが子供を生み育てなければ、人類は途絶えてしまうという事実の前に、誰も異議を唱えることができなかった。
子供を生まない女性は、子供を生まない(=生めない)ことに劣等感をもっていたので、子供を生んだ専業主婦の傍若無人なふるまいに、圧倒され口を閉ざした。
そして、子供を生むという正義の前に、子供が生めない男性は口を閉じざるを得なかった。
専業主婦に手厚く育児された子供は、皮肉なことにきわめて自己中心的な性格に育ったり、異常なまでの母子の癒着現象が発生した。
そして、子育ての終わった専業主婦は、自己確認の手段を失った。


 農耕社会では、家が生産組織であり生活の中心であったので、大家族というかたちで誰でも家に属していた。
それゆえに必然的に、生ませた男性と生んだ女性そして生まれた子供は、同じ屋根の下で生活していた。
そして、核家族となっても、子供は生ませた男性と生んだ女性が育てた。
だからいつでも、生ませた男性と生んだ女性が、子供を育てるものだと考えやすい。
しかし、生まれた子供は、生ませた男性と生んだ女性以外には、育児や養育ができなかったわけではない。


 裕福な家では、乳母なる女性が子供の世話をしたのがふつうだった。
それほど裕福な家でなくともさまざまな理由で、生まれてすぐ里子に出されることはしばしばあった。
生ませた男性と生んだ女性が養育しなくても、子供はひねくれたりせずに、心身共に充分に健康に育ったのである。
また、家制度が堅固だった時代には、長子以外はいずれ他家へでる可能性があったので、小さな頃から養子に出されることも多かった。
兄弟姉妹が多かったので、裕福な他家へ養子にだされた男性が、養家の若様として厳しく育てられ、やがて晩年になって総理大臣を勤めたのは、つい最近のことである。
戦後の体制を決めたといわれる吉田茂首相は、竹内綱とタキの五男として生まれ、3才のときに竹内家から吉田家の養子になって、彼の人生を歩き始めた注-23

 今ではどこの家でも子供の数が少ないので、里子や養子に出すことはほとんどなくなった。
しかし、農耕社会では生まれた以外の家で育つ子供は、現在よりずっと多かった。
農耕時代には、他人の子供をわが子と同様に、愛情をもって叱れる大人がいた。
子供はどんな環境でも育つのであって、現在のしかもある決まった子育てを最適だと決めることは、すこぶる危険である。
子供はさまざまな適応性があり、それがゆえに人間の社会がいかに変化しても、新たな社会に対応して、人類は絶えることなく生き延びてきたのである。


 工業社会にはいるまでの人類の歴史上には、子育てを専門にする職業人として乳母なる人物は存在した。
しかし、子育てに専従する専業主婦は、存在しなかったのである。
現代日本の女性のある部分は、好んで子育てを苦しく、困難だと言いたがっている。
そして、女性は男性からの援助のないなかで、それに立派に耐えていると言いたがる。
けれども実は、子育てそのものが苦しい作業なのではない。
女性が生産労働から離れたことが、女性に将来を見る目を失わせた。
それが、子育てを困難で苦しいものにしたのである。


 家事労働が減少し始めたとき、専業主婦は家事労働の専従者をやめる、絶好の機会だった。
家をでて、働く好機だった。
しかし専業主婦は、専業主婦であることをやめて、フルタイムの職業労働者になる道を選ばなかった。
家に残って子供を立派に育てることが、専業主婦の仕事になったと勘違いしたのである。


 工業社会の進展にともなって、男性の職場労働も過酷になってきた。
労働効率を求める資本の論理に追いまくられて、男性は職場労働に抑圧を感じ始めてきた。
本来は楽しいことである仕事が、管理社会での賃金労働に閉じ込められて、それに従事する男性は仕事の楽しさを奪われている。
現実の賃金労働には仕事本来の楽しさはなく、むしろ嫌なことのほうが多い。
そこで職場労働の困難説が、登場するのである。
それは時として、仕事そのものの困難さの強調にすらなる。
しかし、子供の生めない男性は、生産労働から身を引くことはできない。
生産労働だけが、女性とは異なる男性の存在意義だとすれば、生産労働をやめることは、男性が人間としての存在証明を失うことである。

 子育ての困難さの強調は、男性が厳しく困難な賃金労働を強調するのと同じ構造である。
現代の男性は、自らの存在理由を、厳しく困難な賃金労働を遂行していることに求める。
そしてそのなかで、他の男性よりも、より高賃金をまた少しでも優秀だと認められる地位を獲得すべく、互いにしのぎを削っている。
男性は会社で働いている自分を、ヒロイックに、しかも自己肯定的にとらえいる。
その状況とまったく同じことが、専業主婦の子育てにおこったのである。


 現代の男性が、自分の仕事をもって女性に優位する理由にするとき、ほとんどそれは男性の自己正当化にしかすぎないと、今では判明している。
男性が仕事が生きがいだと言うと、今日では憐憫のこもった目でみられる。
男性のわずかな、しかも身勝手な自己正当化の道は、働く女性の台頭によって粉砕された注-24
子育ての困難さの強調は、子育てにしか依るもののない専業主婦の、自己正当化のむなしい論拠である。
子育ての困難さの強調は、肉体労働が優位する男性社会の反映であり、情報社会になろうとする今、もはや陳腐以外の何物でもない。


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