「単家族」の誕生

目  次
はじめに−等価なる男女
第1章 家族構造の変遷
1.農耕社会の属性 2.家庭と仕事の分離 3.有償労働の成立
第2章 家庭内労働の分離
1.家事労働の衰退 2.家事労働と子育て 3.単家族の成立

第1章 家族構造の変遷

2.家庭と仕事の分離

 戦前から戦後しばらくのあいだ、わが国では職場の上司に、お中元やお歳暮をおくる習慣があった。
現在でも、職場の上司の引っ越しを、部下たちが手伝う習慣が残っている地方もある。
これらはいずれも、工業社会へ入ったばかりの社会が、農耕社会の人間関係を引きずった名残りである。
今日では、仕事をする場としての職場は、ほとんどの場合において、家庭とは離れている。
今や、家と職場が離れていることは、誰でも当たり前のように感じている。
仕事場と家庭は分かれているから、ほとんどの仕事は、家庭には入り込まない。
そのため、職場の人間関係は職場だけでとどまり、他の家族は仕事上のつきあいのある人を知らずにいても、日々の生活の上では何の支障もない。

 農耕社会では、仕事場と家庭の関係は実に密接なものであって、家がそのまま仕事の場でもある。
工業社会を経験すると、農業従事者の自宅と仕事場も分離してくるが、農耕社会の農業従事者、とりわけ稲作を行う農耕社会では、自宅はいわば米の生産工場のような機能をもっている。
わが国の特徴的な農家建物として、南部地方の曲がり屋などが有名だが、どこの地方の農家でも屋内には土間があり、そこで農作業ができた。
農家という住まい自体が、農作業に向くように作られていた。
農家では住まいのなかで、籾の選別・苗の用意や農具の手入れなど、さまざまな農作業をした。
しかし、今日では農家といえども、作業場は別棟に作ることが多いので、住まいのなかでは農作業をしなくなった。
それにしたがって、農家はサラリーマンの住宅とかわらなくなってきた。


 家庭と職場が分離する前には、家庭に生活する全員が、家業としての仕事を担っている。
確かに地球上のどこでも成人男性が、戸主として家族を代表する例が多いが、その男性とても一人で仕事をしているわけではない。
農耕時代にはすべての作業は、人間の肉体によってなされていたから、日々の生活を成り立たせるためには、膨大な肉体労働を消化せねばならなかった。
そうした肉体労働は、とても男性一人で担いきれるものではなく、家族の全員が肉体労働に従事した。
つまり、家庭と職場が分離する前は、すべての労働は仕事としてみられ、体を動かすことが有償であるか無償であるかは、問題にされなかった。
農耕社会には生活保護者や年金生活者など存在せず、男性、女性、年寄り、子供をとわず、とにかく元気な者すべてが働いた。
そして残酷なことに、働けない者は生きていく道がなかったのである。


 農耕社会における農家の収穫は、一家総出の田植え、稲刈りといった家族の全員の働きに支えられている。
成人男性が、最も困難な肉体労働を担ったことは事実であるが、女性も男性に劣らずに働いた。
家を維持する家事労働を含めれば、労働に従事する時間だけをみると、地球上のどこの農耕社会でも女性のほうが長いかも知れない注-12
農家の収入は、家族全員の労働による成果である。
農家における家事労働は、直接的に収入には結びつかないように見えても、農業は家全体による労働にはまちがいない。
そのため必然的に、家族をとりまく人間関係は家のまわりに集まり、仕事と家庭は混然一体となっているのである。

 今日ではどこの家でも、結婚式や葬式は、それぞれ専門の会場を借りて行うことが多い。
しかし、戦前までの農家や商家では、すべての冠婚葬祭は自宅で挙行した。
仕事にかぎらず娯楽から、近隣や親戚の付き合いまで、一切の生活は家を中心に営まれた。
また反対に、家庭生活は仕事を中心に営まれたともいえるほど、両者は密接不可分であった。
もちろん仕事上の人間関係は、ずかずかと家のなかにまで入り込んでいた。


 自然の天候に左右される農業という仕事の性格からか、農業の労働時間は、サラリーマンの勤務形態とは決定的に異なっている。
農繁期は、猫の手も借りたいほど忙しく、寝る暇もないほどだった。
しかし、農閑期になると仕事はなかった。
積雪のため、ほとんど仕事ができなくなる地方すらあった。
また、漁業では魚の群れがきたときが、働き時であり、魚がいないときは暇である。
農耕社会の労働はいずれも、それに従事する人間の都合は勘案されず、人間のほうで仕事に合わせざるを得なかった。
そして農耕社会では、時間が村落や都市を単位として使われており、今日のように人工的な時計という機械に計られた時間が、世界中で同じように使われてはいなかった。


 工業社会となった今日のわが国では、平日の日中に成人男性を家庭でみることは少ない。
しかし、あたりまえのことながら、人類の歴史上もっとも長い期間を占める農耕社会には、成人男性を家で見かけても何の不思議もなかった。
労働する場所は、家のすぐ近所にあったのだから、誰も家を離れて他へ行きようがなかったのである。
すべての人間が、日々を生きていく生産労働のために、家で働いていたことを忘れがちだが、これが人類の生活形態としては普遍的なのであった。
東南アジアなどの農耕社会にいくと、成人男性が日中に家にいるのを、現在でもいくらでも見かけるのである。

 農耕時代も終盤になると、つまりわが国でいうと江戸時代以降、商品経済が発達し始めた。
わずかながら商業や手工業に従事する人も発生した。
そして行商人ではなく、店を構えて商売をする人が生まれてきた。
土地以外に、働く場所ができたのである。
農耕社会では、商家であっても家庭と仕事場の関係は、農家と大同小異であった。
今日では、商店のあるところに、その家族たちが住んでいるとは限らない。
しかし戦前までの商店は、店舗がそのまま住宅になっている例が多く、奉公人も含めた家族たちは、店の奥や二階に住んでいた。ここでも職住は一致していた。
明治村や各地の民家園の建物を見ると、店の奥に生活空間があり、職住一致だったことが良く判る。


 客の来店によって、生計をたてている商家では、農業のように土地からの制約は受けない。
しかし、地域の人々との付き合いに拘束される度合いは、農家にまさるとも劣らない。
地元で商売をする、つまり近所の人々がお客さんである。
隣近所の人々との付き合いをしくじれば、明日からの来客は、激減することを覚悟しなければならないのである。

 生活の場に店があることは、隣近所の人々との対応が店頭での対応にとどまらず、私生活のどこまでもついてまわる。
たとえば、通りすがりの道ばたでも、常連の顧客に対して軽率な対応をしたら、たちまち店の評判にかかわる。
そのうえ家族や奉公人たちが、総出で商売を営んでいるので、家族であれば誰でも、客とのつきあいを無視はできない。
それゆえに店を媒介にした人間関係は、家族の全員を包み込んでいるのである。
店と家庭の同居は、すべての家族構成員に24時間にわたって、商人であることを強制した。
農耕時代の商店は、今日よりずっと商圏が狭かったので、地域におう度合いはむしろ農家より高かった。
農家のみならずここでも、仕事と家庭生活は密接にからみ、両者は不可分であった。


 農耕社会には、農業や商業とならんで、少数ながらもう一つ手工業という職業があった。
手工業従事者つまり職人にあっては、農耕社会のみならず工業社会になっても、家庭と仕事が分離していない事情は変わっていない。
家で仕事をする居職と、出先で仕事をする出職の違いはあれ、いずれも仕事の本拠地は家庭にあった。


 床屋、桶屋、着物の仕立屋、各種の修理屋といった居職であれば、仕事場と住宅はまったく一体化していた。
寝起きする場所から、住み込みの弟子の生活の場まで、そのまま住宅の中にあった。
ここでは職人である成人男性が、朝食のあと仕事場におりることは、農家の人が家の近くの田や畑に行くのとまったく変わらなかった。
名実ともに、生活のなかに仕事があったのである。

 左官、鳶職、庭師などの出職は、出先で仕事をするといっても、今日のサラリーマンとは異なり、ある仕事を完成させるためにそこに出向いている。
それが完成してしまえば、また他の出先へと移動する。
出職は、取付や仕上げ仕事こそ出先でしたが、道具の手入れや材料の仕込などは、家でした。
そのため自分の家のまわりに、下ごしらえのための仕事場を持っていた。
出職も居職もともに、家庭と仕事は不可分であったことは、農家や商店となんら変わることはなかった。


 多くの職人仕事は、厳しい肉体労働だったために、女性の就労は困難だった。
それゆえ職人の世界では、女性が男性と同じように一人前に働くということは少ない。
繊維関係は、比較的軽い肉体労働だったので、女性の就労も可能だった。
それでも、絣を産出する地方では、染色は強力な腕力を必要とするので男性の仕事、腕力が不要な機織りは女性の仕事と分化していた。
今日では機械が導入されたので、非力さはそれほど不利ではなくなったが、それでも体力のあるほうが能率がいいことは紛れもない。
ここでも生産労働を、中心になって担う男性が主、女性が従である。


 職人の仕事そのものは、成人男性が担当した。
しかし、家が仕事場になっている以上、他の家族も仕事と無関係というわけにはいかなかった。
どこでも家の仕事は、多かれ少なかれ、家の誰もが手伝った。
当然のこととして、それは血縁のあるなしにかかわらず、家に生活する全員が総がかりでする家業だったのである。
時代が下るにしたがい、1920〜85年のあいだに、疑似家族員とも言うべき住み込みの使用人や同居の単身者は、330万人から17万人へと減少し、家族以外の人間が家で働く姿はほとんど見られなくなった注-13


 農耕社会では、職場が家庭から分離した生活をしている人は、人口の数パーセントを占める貴族や武士だけであり、非常に稀であった。
働くためだけの場所にかよう、今日のサラリーマンのような存在は、支配階級に属する役人など例外的にしか存在しなかった。
農耕社会では家での夜なべ仕事はあったが、職場における残業とか長時間労働などはなかったので、その例外的な役人ですら、家にいる時間は、現代のサラリーマンよりはるかに長かったのである注-14


 明治時代になって始まったわが国の産業革命は、それまでの農耕時代には一般的であった、家においての労働を許さなくした。
産業革命は、家とは別のところに、働くためだけの場所を作りだした。
明治の初めにあってはもちろん産業革命が、その途についたばかりであり、国民の大部分は、いまだ農耕社会の農業従事者であった。
しかし、農耕社会だった江戸時代には、存在しなかった働くためだけの場所、つまり近代的な工場がわが国にも建設され始めた。
商人と職人を除いて、農地の上にしか働く場所がなかった時代から、工場や会社といった職場が登場してきた。
そして産業革命が進行するのと平行して、家から工場や会社といった職場へと、労働の場所が移動し始めた。

 工場生産が普及してくると、人はある決まった時間だけ働く場所へと出向き、そこで何時間か仕事をした。
そしてそれが終われば、ただちに仕事から解放されるようになった。
仕事は自然を相手にする、24時間勤務ではなくなった。
仕事から労働以外のしがらみが消えて、いわば労働時間の切り売りが始まったのである。
仕事と家庭生活の混交状態は少しずつ変わっていった。


 工場生産も初めのうちは、農耕時代の慣習が尾を引いて、宿直や泊まりでの仕事もあった。
農耕社会の名残りとして、学校などには、毎晩誰かが宿直として泊まり込んでいた。
ただし、屈強な肉体が優位だった象徴として、宿直は男性に限られていたが…。
それは夏目漱石の「坊ちゃん」などに書かれているとおりである。
そして職場の人間関係は、直接的には雇用関係にない他の家族にも、少なからざる影響を与えた。
だから、ただちに労働の時間売りが実現したのではない。
それが例外なく誰にでも当然のことになるのは、時代もずっと下って1960年頃からである。
その頃から夜間の管理は、警備会社などに委託するようになって、宿直は姿を消した。


 農耕時代の仕事は家を単位とし、収入も家にあったのに対して、労働時間の切り売りは個人を対象にしていた。
農耕社会では、財産は家長名義であったが、それは家長個人のものではなかった。
あくまで家の収入であり、家の財産であった。
しかし工場生産は、工場に働きにきた当人に対して、給料が支払われたのであり、その人が属している家に対して支払われたのではなかった。
工場生産のもとでは、収入を得る単位が、家から個人になったことは、特筆されなければならない。
これによって、農耕社会の大家族という群れの生活が、分解過程に入ったのである。
そして仕事場と家庭の分離は、仕事=公から切り放されたもの、つまり個人なる概念の発生を招来したのである。

 現在は、工業社会を抜け出して、情報社会へと転換しようとしている。
情報社会は物と切り離された頭脳労働が中心となるので、工業社会のように大勢の人間が、一度に肉体労働に従事する職場は存在しない。
人間を相手にするサービス業や営業職を除いて、コンピューターさえあれば、どこでも仕事ができるようになる。
そのため、職住一致が可能になると考えるかも知れないが、それは農耕社会の家とは異なっている。
たしかにコンピューターがオンライン化されることによって、在宅勤務が可能になるが、かっての農家や商店のような解放的な職住一致は成立しない。
情報社会の職業労働は、より競争的であり、あくまで個人的な作業であって、家族の全員で取り組むようなものではない。
そのため、何らかのかたちで在宅勤務が可能になっても、精神的に集中できる労働環境でなければ、情報社会の仕事をするのは不可能である。
情報時代の職住接近は、住まいと仕事場の関係に、新たな形態を模索する。


 最近になって登場してきた、いわゆるカタカナ職業の人々は、必ずしも勤め先としての会社などを必要としないこともある。
たとえばコピーライターなら、電話とFAXがあれば、自宅の書斎で充分なはずである。
しかし、こうした職業の人であっても、自分の仕事場として事務所をかまえて、そこに通うのがふつうである。
そしてアシスタントがいなけれれば、打ち合わせの時は留守番電話をセットして、事務所をぬけだしている。


 どこでも仕事ができそうに思う職種であっても、あえて家庭の他に仕事場をつくるのは、今日では、家庭を運営する論理と仕事をすすめる論理とは、まったく異なったものだからである。
大家族や核家族をイメージする家庭では、今日の仕事ができないのである。
それゆえ家庭と職場=仕事場の混交は、もはや発生しない。
けだし今後の労働は、きわめて頭脳集約的なものになっていく。
そして、今後の社会で期待される頭脳労働は、より集中した高密度の労働の場を要求してくるからである。
それは男性や女性といった性別を問うものではなく、仕事自体が要求してくるのである。
働くことのできるすべての人間が、家庭と切り放された仕事場へと集中する方向こそ、今後ますます指向される。


次に進む