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第2章 家庭内労働の分離 1.家事労働の衰退 農耕社会では、収穫は自然の天候に左右され、土地の生産性にも限界があった。 生鮮食糧品は、生に近い状態で市販されていたので、それらを食卓にのせて食べられるようにするには、さまざまに調理の手を加える必要があった。 食材も、今日のように小量では市販されていなかったから、すぐには使わないものも一緒に買わざるをえなかった。 それらを貯蔵しておくのも、大切な仕事の一つだった。 電気冷蔵庫がなかったから、残ったものの保存にも細かな配慮が必要だったのである。 科学繊維がなかった衣類も、今日とはまったく事情が違った。 生産力が低かったので、着るものも潤沢ではなかった。 今日では、何度も洗濯して古びてくると、まだ充分に使用に耐えるものであっても、綻びたり穴があいたりする前に捨てられてしまう。 こんなことは工業社会も終盤にいたり、情報社会を目前にして、初めて可能になったのである。 今日では、継ぎのあたった衣類を、着ている人を見かけることはなくなった。 しかし1960年頃までは、穴があいたりすり切れた衣類は、繕って着るのが当たり前であった。 それゆえ繕いものは、家事労働の重要な一部分を占めた。 戦前でもすでに国民の大部分は、着物から洋服へと衣替えしてはいたが、どんな衣類でも今日よりずっと大切に使われた。 たとえば背広のような高額衣類は、古くなると裏返して縫製しなおし、もう一度着用された。 裏返したため、胸のポケットが左から右にきても、平然と着たのである。 それ以外にも、家族が順調に生活を続けるためにせねばならない家庭の仕事は、本当にたくさんあった。 結婚によって生まれた新たな家庭には、おびただしい量の家事労働が待っていた。 それを消化しなければ、生活がなり行かなかった。 いやでもおうでも、誰かがそれをしなければならなかった。 工業社会の核家族化した家庭において、職場労働は男性しかできないとなれば、家事労働は女性が担当せざるを得なかった。 家事労働は、より一層の高収入をめざしたものではないから、効率を競わない。 だからその人の体力に応じて、時間をかけて少しづつ消化していけば良い。 家事労働としての調理には、屈強な肉体は不要である。 非力な女性でも、充分に勤まった。 核家族となった当初、職場で働く男性と、家事労働を担当した女性の労働量は、吊りあっているように見えた。 薪割りや肥汲みが、なくなったのに少し遅れて、工業社会の核家族において、女性が担当した家事労働にも、省力化の波が押し寄せてきた。 工場生産が、家事労働を軽減するための家庭電気製品を、世に送り出したのである。 当初高価だった家電製品は、瞬く間に低価格化した。 低価格化による家電製品の広範な普及は、家事労働を軽減した。 家電製品は、1953年頃から本格的に普及し始め、1978八年には冷蔵庫、洗濯機の普及率は99パーセントに達した注-17。 戦前には、完全に一人前の仕事量があった家事労働は、もはや、一人前の仕事量とはいえないくらいに少なくなってしまった。 もちろん、それと平行して生活習慣が変わったので、ふえた家事もある。 毎日風呂に入るようになったり、毎日下着を替えるようになったりした。 また一汁一菜に近かった戦前に比べると、はるかに贅沢な食事をとるようになった。 これらに対応するためには手間がかかり、単純に家事労働が減ったとはいえない。 しかしそれでも、1960年頃以降の家事労働の変化はすさまじかったのである。 家電製品の普及だけではない、食材にも大きな変化があった。 今日では、野菜は小口化されて市販され、泥つきではなくなった。 そのうえ、加工食品が出回り、食事の準備も簡単になった。 鰹節を削らなくても、すでに削ってパックされたものが売られている。 わざわざトリガラでだしをとらなくても、手軽に使える冷凍トリガラだしがある。 自家製するのは不可能なほど、少量多品種の漬物が市販されている。 食事の用意が間に合わないときは、家に持ち帰れる食品がたくさん市販されている。 いまや調理をする必要がないくらいである。 戦前までいや戦後も、漬物はもちろん味噌や醤油まで、それぞれの家でつくったものである注-18。 それが工場で生産され市販されるようになると、いつの間にか、どこの家でも味噌や醤油など作らなくなってしまった。 家事の専門家であるはずの専業主婦が、切り盛りしている家であろうとも、いまや味噌や醤油を自家製してはない。 大部分の家が、工場製の醤油や味噌を買っているはずである。 豆腐や納豆を自家製している家など、日本国内にはもはや存在しないであろう。 キムチで有名な韓国でも、生活の近代化とともに、キムチを自家製する家が減って、工場製キムチを購入するようになっている。 近年になって工業化が進み、自給自足が崩れ商品経済が流入している東・東南アジアの各地では、自家製食品や調味料の自家製がすたれ、工場製の食品が普及しはじめている注-19。 日本製の化学調味料は、いまやタイの山間部にいっても使われている。 農耕社会の時代には、餅はそれぞれの家でついたものである。 しかし、餅をつく家はめっきりと減ってしまった。 今後、餅は加工食品として、完成品を買わざるを得なくなる運命をたどっている。 情報社会が進むと、冗談ではなくご飯を炊く家も、少なくなるかも知れない。 ご飯は炊かれたものを買って、電子レンジで加熱するだけになるかも知れない。 農耕社会では、膨大な作業だった家事労働は、すべて手仕事という肉体労働に支えられてきた。 しかし、それらは本当に減ってきた。 今日の工場生産は、かって人間がやっていた手仕事を量においてはもちろん質においても、はるかに陵駕するレベルに到達しつつある。 しかも、工場生産品のほうが、はるかに均質で安価である。 こうして考えてくると、家事労働はすべて家電機械や加工食品などの外部からの提供品に置き換えられて、無限に極少化していくと見なしてよい。 歴史を振り返ってみると、人間は人力の労働を機械に置き換えるための、創意・発明をたくさんしてきた。 たとえば、人間の身体で担ったものをクレーンが運んだり、人力で植えたものを田植え機が植えたり、飛脚が運んだ手紙がFAXとなったりといった具合に、人間がその肉体で行っていたことを、機械がすこぶる能率的に消化するようになった。 そうしたなかで、家事労働だけが人間の手間をかけるという労働集約性を、ますます高めていくとは考えられない。 けだし労働集約性を高めることは、社会の歴史と反対方向に動いていくことだからである。 家庭を維持するための労働が、ゼロになるとは言えない。 しかしそれが、労働と呼ばれるほどにたくさん残るかどうかは疑問である。 そして、それを家の人がするかどうかも、疑問である注-20。 洗濯をクリーニング屋にだすように、家事労働も外注されるようになる。 かっては毎日した掃除も、週に一度の掃除であれば、ハウスクリーニングとして、それを外注に出すことは容易にできる。 それに今後、家で行われるのは消費指向的な行動でありえても、生産的な労働が家庭では行われない。 家庭はますます慰安や娯楽の場とはなっても、生産労働の場とはならないのである。 家事労働の専従者である専業主婦に、特別の思い入れをもっている女性論者がいる。 専業主婦が、時代に強制されて生まれたものだったとしても、家事労働が消滅すれば、専業主婦の存在理由はなくなる。 言い換えると、専業主婦それ自体も、消滅せざるをえない運命にある注-21。 消滅に向かうものに、これからの人間の存立基盤を求めることはできない。 |
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