認識×6+忘我論   第7−3回
1982年〜「花泥棒」に連載

第1回 神・仏・人
第2回 擬制の血縁
第3回 性差を越えて
第4回 約束された価値
第5回 時と共に
第6回 他国を遠望して
第7回 忘 我
     
第7回   忘我   自我の反対側にあるもの   その3
−忘我は無方向−
 芸術的忘我といえども、人の都合の良いようにばかり、発現するとは限らない。
忘我は人の都合とは無関係である。
忘我は人に危害を及ばす方向をも内包している。

 すぐれた芸術家は、忘我という狂気の虫を、上手く飼いならしている。
通俗的な芸術家は、忘我という狂気をもたず、日常的な次元から制作をおこなう場合が多い。
そのために、その作品は見る者を打たなくなっている、のではないかとすら思うのである。

 山登りをする人は、自然界の霊的世界をよく体験する。
それも忘我のなせるものである。
今まで6回にわたる記述が、いかに自我かという論であった。
それにたいして、今回は例外として忘我の形態を述べている。
忘我は自我以上に気まぐれで、とらえにくいものである。

 現実的体験としての忘我は、山などの非日常でだけ経験するのではない。
たとえばスポーツの観戦から、ひいきのチームが優勝したりすると、人がどっとグラウンドヘなだれ込むことがある。
あの人々の気持ちは、たぶん忘我に近いであろう。

 それまでの試合によって、充分に興奮させられた観衆は、ちょっとしたきっかけで忘我の群衆となりうる。
また機動隊に追われて、チリヂリに逃げる群衆も、また忘我の群であろう。
忘我の群衆は、倒れた人を踏んづけていくことも珍しくはない。

 群衆のなかの人であっても、普段の冷静な自己なら、人を踏むことは決っしてしないであろう。
平常心を欠いたこれらは、群衆心理と呼ばれて、一種の異常心理とされている。
しかし、忘我という面から見ると、特別に異常でも不思議でもない。

 世界を見ると、神がかり的な群衆指導者によって、歴史的に大きな事件がいくつもおきている。
そうした事件を見て、群衆のはたした役割は大きいものだったから、忘我が正しいと言うつもりはない。

 群衆といえども、群衆を成り立たせているのは、やはり1人の人である。
群衆全体が、1つの方向に向っていくなかにあって、そのなかの個人をとってみると、いつも全体の動きと同じ方向へと動いているとはかぎらない。

 口々に叫ばれるシュプレヒコールは、全体できくと一つに聞こえる。
多くの人は同じシュプレヒコールを叫んでいるだろう。
しかし、群衆の一人は子供を抱い た母親で、たまたまシュプレヒコールの時に子供がむずかり、その子供をあやしていたかも知れない。
けれども、その母親も全体の熱気の中に入ってしまうと、 異口同音にシュプレヒコールをとなえる者の一人である。

−甘美な忘我−
 自我は、つねに自己を疑いながら、おそるおそる自分の行動を選択させる。
それにたいして、忘我は、本人に最良と信じさせて、選択をさせる。
忘我は大胆不敵である。
忘我であること自体が、自覚されていないのだから、大胆な行動にでることは当然ではあるが。

 最近よくホテルの大火があり、大勢の人が死ぬ。
それをテレビなどで見ていると、居たたまれない。
消防隊の梯子がもう少しで届くというときに、死へのダイビングをする人がいる。
本当に凄惨な場面で、見るにたえない。

 なぜ、消防隊の助けを待たずに、地上へ向って空中にとびだすのだろうか。
ビルの高い部分の、わずかにつき出した庇のうえに立って、宿泊客が救助を待っている。
やがて火がまわり、彼の近くを焼きはじめる。
とうとう火勢は彼のいるところを襲う。
当然ものすごく熱いだろう。
熱風が彼を襲うだろう。

 自我の支配下にあるテレビのこちら側の私たちは、なぜ空中へダイビングするのか判らない。
たとえ火事であっても、コンクリート製の庇がくずれおちることはない。
庇のうえにとどまって、救助を待つことがどんなにつらくても、待って助かるほうが、地上ヘダイビングして助かる確率より、はるかに高いのは明白である。

 5・6階からコンクリートのうえへ、直接に落ちれば確実に死ぬ。
火傷しようが、脱水症状になろうが、そこにとどまって救助を待つのが最良の方法である。
しかし、ある時、我慢の限界がくるのだろう。

 自分のまわりに見えるのは、もう下の地面だけである。
地面が彼に甘くささやく。
最初は冷静だった彼も、火の勢いにおされて、異常な体験のなかで、忘我へとかりたてられる。
はじめは落ちれば死ぬと判っていた彼も、いつの間にか、とび降りても大丈夫だと思うようになるに違いない。

 台風の増水する沢のなかで、枝尾根のうえに道があると妄想した、筆者の心境と同じ忘我になる。
我慢の限界をこえると、とうとう最後に彼は飛びだす。
そのとき、彼は死ぬとは思っていない。
おそらく地上めがけて、空中へとびだすことが、最良の方法だと確信しているはずである。

 人の行動は、いつも良いと思って、選択されている。
火のなか、忘我となった彼には、単に苦しさから逃げるためだけに、行動するのではない。
空中へ飛びだすことが、助かるための最良の方法だと思って、行為しているはずである。
そこにとどまるのが、最良の方法だとしても、忘我になった彼には、もはやそれはできないのだ。

 これは自殺の心理とよく似ている。
人は生の半ばで、自ら命を絶つことがある。
本論でも自殺=死は観念がさせるものだ、と述べた。
たとえ、経済的困窮が原因だとしても、当該自殺者程度の困窮者は大勢いるのであり、全員が自殺するわけではない。

 自殺の直接の原因は、自分の環境に自我が耐えられなくなったからに他ならない。
こう言ったからといって、自殺した者が精神的弱者であると言うのではない。
心理の構造を問題にしているのだ。

 ふつうの自殺は、火事のように突然に危機的状況に追い込まれて、半ば瞬間的決断によって死へのダイビングをするのではない。
徐々に死を選ぶ忘我へと進んでいく。
だから、忘我は短い時間の体験だとは限らない。

 火事でダイビングする人と、経済的困窮で自殺する人には、時間的な違いがあるだけである。
いずれにせよ、人はその時の最良の途である、と錯覚して死を選んでいる。
つまり、両者はともに忘我の支配下にあった。

−その後へ−
 私たちは毎日を生きる。
日々のなかでは、たくさんの選択を判断している。
その選択はよく考えてみると、瞬間瞬間にはつねに二者択一の選択となっている。
あれもこれもという選択はできない。
その時、当人が総合的にみて、最も妥当と思われる判断をしている。

 それは当人がまだ子供で、充分な判断力がないといった留保をつける道をもとざす。
つまり、成人となるのは、保護者の保護下から自立する過程であるが、子供であっても当人の選択は、当人がなしたのである。
人は他人の人生の選択をすることはできない。

 判断の基となる情報量の多寡は、問題にすべきではない。
どれほどたくさんの情報をもったとしても、完壁ということはあり得ない。
かならず途中の状態で、決断を下さなけれはならない。

 不可解な人を最大限に理解し、現実を豊かにするためにこの論を進めてきた。
認識という言葉で理解しうる人の部分は、もちろんのこととして限られている。
けれども、一人の人が、どのように考えるかの大枠は、素描できたのではないかと思う。
これで暫く休んで、再び構想を新らたに、いつかもう一度とり組みたい と思う。
                           −了−

 今読み返してみると、この<忘我>は、不充分さがひときわ目につく。
自我の反対概念としての、忘我を設定したことは間違っていない。
しかし、自分のなかで未だ未消化である。
第6回の「他国を遠望して」も、未整理だったが、それ以上に未消化である。
1982年当時、本論の後半は、考えている最中だったのだろう。

 ところで、今日では、強者・弱者とか勝者・敗者といった言葉で、人が2分される論をみることがある。
人は強者にも弱者にもなりうるのであって、人を2分することはできない。
2分するのではなく、1人の人を全部的に捉えて、その認識を分析してこそ、人の世界に迫ることができる。

 自我とは近代の発見だが、自我の裏側には、忘我があった。
自我が自我だけで存在するのではなく、人は自我と忘我の両面をもって存在する。
本論は、<約束された価値>を新たな概念として提出したが、忘我が近代の発見である、というのも新たな提起となったかも知れない。
  (2007.08.10)

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