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芸術的忘我といえども、人の都合の良いようにばかり、発現するとは限らない。 忘我は人の都合とは無関係である。 忘我は人に危害を及ばす方向をも内包している。 すぐれた芸術家は、忘我という狂気の虫を、上手く飼いならしている。 通俗的な芸術家は、忘我という狂気をもたず、日常的な次元から制作をおこなう場合が多い。 そのために、その作品は見る者を打たなくなっている、のではないかとすら思うのである。 山登りをする人は、自然界の霊的世界をよく体験する。 それも忘我のなせるものである。 今まで6回にわたる記述が、いかに自我かという論であった。 それにたいして、今回は例外として忘我の形態を述べている。 忘我は自我以上に気まぐれで、とらえにくいものである。 現実的体験としての忘我は、山などの非日常でだけ経験するのではない。 たとえばスポーツの観戦から、ひいきのチームが優勝したりすると、人がどっとグラウンドヘなだれ込むことがある。 あの人々の気持ちは、たぶん忘我に近いであろう。 それまでの試合によって、充分に興奮させられた観衆は、ちょっとしたきっかけで忘我の群衆となりうる。 また機動隊に追われて、チリヂリに逃げる群衆も、また忘我の群であろう。 忘我の群衆は、倒れた人を踏んづけていくことも珍しくはない。 群衆のなかの人であっても、普段の冷静な自己なら、人を踏むことは決っしてしないであろう。 平常心を欠いたこれらは、群衆心理と呼ばれて、一種の異常心理とされている。 しかし、忘我という面から見ると、特別に異常でも不思議でもない。 世界を見ると、神がかり的な群衆指導者によって、歴史的に大きな事件がいくつもおきている。 そうした事件を見て、群衆のはたした役割は大きいものだったから、忘我が正しいと言うつもりはない。 群衆といえども、群衆を成り立たせているのは、やはり1人の人である。 群衆全体が、1つの方向に向っていくなかにあって、そのなかの個人をとってみると、いつも全体の動きと同じ方向へと動いているとはかぎらない。 口々に叫ばれるシュプレヒコールは、全体できくと一つに聞こえる。 多くの人は同じシュプレヒコールを叫んでいるだろう。 しかし、群衆の一人は子供を抱い た母親で、たまたまシュプレヒコールの時に子供がむずかり、その子供をあやしていたかも知れない。 けれども、その母親も全体の熱気の中に入ってしまうと、 異口同音にシュプレヒコールをとなえる者の一人である。 −甘美な忘我− 自我は、つねに自己を疑いながら、おそるおそる自分の行動を選択させる。 それにたいして、忘我は、本人に最良と信じさせて、選択をさせる。 忘我は大胆不敵である。 忘我であること自体が、自覚されていないのだから、大胆な行動にでることは当然ではあるが。 最近よくホテルの大火があり、大勢の人が死ぬ。 それをテレビなどで見ていると、居たたまれない。 消防隊の梯子がもう少しで届くというときに、死へのダイビングをする人がいる。 本当に凄惨な場面で、見るにたえない。 なぜ、消防隊の助けを待たずに、地上へ向って空中にとびだすのだろうか。 ビルの高い部分の、わずかにつき出した庇のうえに立って、宿泊客が救助を待っている。 やがて火がまわり、彼の近くを焼きはじめる。 とうとう火勢は彼のいるところを襲う。 当然ものすごく熱いだろう。 熱風が彼を襲うだろう。 自我の支配下にあるテレビのこちら側の私たちは、なぜ空中へダイビングするのか判らない。 たとえ火事であっても、コンクリート製の庇がくずれおちることはない。 庇のうえにとどまって、救助を待つことがどんなにつらくても、待って助かるほうが、地上ヘダイビングして助かる確率より、はるかに高いのは明白である。 5・6階からコンクリートのうえへ、直接に落ちれば確実に死ぬ。 火傷しようが、脱水症状になろうが、そこにとどまって救助を待つのが最良の方法である。 しかし、ある時、我慢の限界がくるのだろう。 自分のまわりに見えるのは、もう下の地面だけである。 地面が彼に甘くささやく。 最初は冷静だった彼も、火の勢いにおされて、異常な体験のなかで、忘我へとかりたてられる。 はじめは落ちれば死ぬと判っていた彼も、いつの間にか、とび降りても大丈夫だと思うようになるに違いない。 台風の増水する沢のなかで、枝尾根のうえに道があると妄想した、筆者の心境と同じ忘我になる。 我慢の限界をこえると、とうとう最後に彼は飛びだす。 そのとき、彼は死ぬとは思っていない。 おそらく地上めがけて、空中へとびだすことが、最良の方法だと確信しているはずである。 人の行動は、いつも良いと思って、選択されている。 火のなか、忘我となった彼には、単に苦しさから逃げるためだけに、行動するのではない。 空中へ飛びだすことが、助かるための最良の方法だと思って、行為しているはずである。 そこにとどまるのが、最良の方法だとしても、忘我になった彼には、もはやそれはできないのだ。 これは自殺の心理とよく似ている。 人は生の半ばで、自ら命を絶つことがある。 本論でも自殺=死は観念がさせるものだ、と述べた。 たとえ、経済的困窮が原因だとしても、当該自殺者程度の困窮者は大勢いるのであり、全員が自殺するわけではない。 自殺の直接の原因は、自分の環境に自我が耐えられなくなったからに他ならない。 こう言ったからといって、自殺した者が精神的弱者であると言うのではない。 心理の構造を問題にしているのだ。 ふつうの自殺は、火事のように突然に危機的状況に追い込まれて、半ば瞬間的決断によって死へのダイビングをするのではない。 徐々に死を選ぶ忘我へと進んでいく。 だから、忘我は短い時間の体験だとは限らない。 火事でダイビングする人と、経済的困窮で自殺する人には、時間的な違いがあるだけである。 いずれにせよ、人はその時の最良の途である、と錯覚して死を選んでいる。 つまり、両者はともに忘我の支配下にあった。 −その後へ− 私たちは毎日を生きる。 日々のなかでは、たくさんの選択を判断している。 その選択はよく考えてみると、瞬間瞬間にはつねに二者択一の選択となっている。 あれもこれもという選択はできない。 その時、当人が総合的にみて、最も妥当と思われる判断をしている。 それは当人がまだ子供で、充分な判断力がないといった留保をつける道をもとざす。 つまり、成人となるのは、保護者の保護下から自立する過程であるが、子供であっても当人の選択は、当人がなしたのである。 人は他人の人生の選択をすることはできない。 判断の基となる情報量の多寡は、問題にすべきではない。 どれほどたくさんの情報をもったとしても、完壁ということはあり得ない。 かならず途中の状態で、決断を下さなけれはならない。 不可解な人を最大限に理解し、現実を豊かにするためにこの論を進めてきた。 認識という言葉で理解しうる人の部分は、もちろんのこととして限られている。 けれども、一人の人が、どのように考えるかの大枠は、素描できたのではないかと思う。 これで暫く休んで、再び構想を新らたに、いつかもう一度とり組みたい と思う。 −了− 今読み返してみると、この<忘我>は、不充分さがひときわ目につく。 自我の反対概念としての、忘我を設定したことは間違っていない。 しかし、自分のなかで未だ未消化である。 第6回の「他国を遠望して」も、未整理だったが、それ以上に未消化である。 1982年当時、本論の後半は、考えている最中だったのだろう。 ところで、今日では、強者・弱者とか勝者・敗者といった言葉で、人が2分される論をみることがある。 人は強者にも弱者にもなりうるのであって、人を2分することはできない。 2分するのではなく、1人の人を全部的に捉えて、その認識を分析してこそ、人の世界に迫ることができる。 自我とは近代の発見だが、自我の裏側には、忘我があった。 自我が自我だけで存在するのではなく、人は自我と忘我の両面をもって存在する。 本論は、<約束された価値>を新たな概念として提出したが、忘我が近代の発見である、というのも新たな提起となったかも知れない。 (2007.08.10) | |||
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