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論理をおって展開される理詰めの話が、人を納得させる場合もある。 しかし、映画が虚構であり、たった2時間しか続かないものだと知りつつ、私たちは笑ったり涙をながしたりしてしまう。 心の底からゆさぶられる感動は、どうも理詰めの話からではなく、たとえ虚構と判ってはいても、忘我の状態である場合が多いように思える。 それは一種の狂気であり、常識や平常の判断が及ばない世界からの衝撃であるように思える。 それは一般に芸術と呼ばれる世界である。 今まで本論は、あえて芸術的世界にふれないできた。 それは、次の2つの理由による。 第一の理由は、芸術的な感動は、短い時間しか続かないものであること。 芸術的感動の衝撃力の強さは、認めるにしても、感動そのものを継続的に体験できない。 たとえ、その時のその感動が、その人の一生を決定するほど、強いものであったとしても、その感動自体が持続するのではない。 芸術的感動が、生活の次元まで降りてきて、日常的な世界におさまって持続する。 それともう一つの理由は、そうした忘我の感動的世界であっても、時間がすぎると相対化できる。 また、必ず相対化せざるを得ない。 たとえ画家や詩人・作曲家が、作品を創る瞬間は忘我であったとしても、自我の状態に戻るのをくり返さなければ、次の作品を作ることは不可能である。 精確にいえば、まったくの忘我では作品を産み出すことは不可能である。 すべての芸術家は、次の作品を創るあいだは、生活者にもどって、冷静に自分の作品を見なおしているはずである。 いやもっと極論すれば、作家の手をはなれる一瞬だけで、作品がなりたっているのではない。 筆や鉛筆を動かしているあいだは、いつも常なる自己検証、いい かえると自我の確認にさらされている筈である。 作家がほんとうに忘我になってしまったら、筆を動かしたり、言葉をあやつるのも不可能になってしまう。 忘我の状態が、大きなエネルギーをもっていることは認める。 しかし、人の思惟構造は、自己を見つめる以外にとりようがない。 作品を見たり聴いたりする、いわば受け身の場合には、忘我だけというのも可能である。 しかし、作品を送りだす側については、なかなか忘我では語れない。 以上のような理由で、忘我は人にとって例外と考えた方が良く、生活時間の大部分を占めるのは、やはり冷静に自己を見つめる構造である、と考えている。 しかし、忘我が例外だからといって、重要ではないと言っているのではない。 むしろ例外を認めることこそ、通常の状態をよりよく理解する途である。 優れた芸術作品は、絵画であろうと詩であろうと、人を忘我の状態にすることができる。 また映画や演劇は、総合芸術と呼ばれるように、視覚と聴覚の二感に訴えかける。 そのために、比較的簡単にしかも強力に、忘我の状態にひきずり込む力をもっている。 小説のように視覚だけに頼る場含のほうが、より想像力をかきたてられることもある。 たとえば美人の主人公が、大活躍する小説が映画化されると、小説で読んだときは、ほんとうに美人だと思っていても、映画女優を見てガッカリしたりする。 ここでも忘我を解く鍵は、自我と同様に想像力であることが予感される。 芸術的な虚構の世界では、人の全感覚を対象とすることは困難だが、現実の生活では二感にとどまらず、五感いや六感まで使って体感されている。 具体的現実の世界では、人はつねに全部的に外界と接触している。 そのため、現実世界での例外的状態、つまり忘我の状態は、虚構の世界のそれとは違って、非常に強力に人を襲う。 現実の世界では、どの時点から忘我となったかが、なかなかはっきりしない。 そのため自我か忘我かが、当人には最後まで判らないのである。 −忘我の体験− かつて筆者は友人と二人で、丹沢山に登ったことがある。 大倉尾根を登り、塔ケ岳から丹沢山をへて、西丹沢のほうへと、2泊3日で縦走する計画であった。 周知のように丹沢山塊は、谷川岳などと同じように東京に近く、短時間で山のふもとに立つことができる。 そのため、気軽な気持ちで入山しやすい。 しかし、一度天候がくずれると、困難な山行となるのは、どの山でも同じである。 若くて体力に自信のある頃であったから、丹沢を見くびっていたのだろう。 台風の接近を知りながら、丹沢山塊に向った。 すでに山は荒れはじめていたが、まだ本格的な風雨はきていない。 このくらいなら大丈夫だ、と歩を進めていた。 2日目の途中まで来た時である。 どうも道を間違えたらしい。 尾根の縦走であるから、一番高いところを歩き続けるはずである。 それがどうも沢筋に降りているらしい。 いくら出登りが好きな人でも、登るよりは降るほうが楽である。 ついつい足は楽な方へ向いていく。 気がついて見ると、あたりには石がゴロゴロしている。 もう沢のなかである。 風雨がひどくなってきた。 懸念していた台風が、本当に近づいてきたらしい。 雨着は着ているけれど、もう全身ぬれしょぼれている。 ぬれたズボンは、足をもち上げるのも大儀にさせてきた。 山の原則にしたがえば、知らない沢にまよい込んだら、尾根へ引き返せである。 知らない沢は、どこにどんな滝がかかっているか判らない。 沢を登るのは容易にできても、沢を降るのは2倍も3倍もの技術がいる。 沢を降っている途中で、滝に出てしまったらお手上げである。 少しつらくても、尾根まで引き返すのが、 山登りの原則である。 しかし、我々は増水しはじめた沢を降りてしまった。 右岸から左岸へと、ときどき道を変えて流れを渡る。 最初のうちは、渡渉も簡単であった。 水量も少ないし、沢幅も狭い。 しかし、台風の接近にともなって、風雨はどんどん激しくなる。 台風が来るまでに、この沢を出てしまわなければ危険だ。 気はせいてくるが、思うように進まない。 すでに水量は腰のあたりである。 水中にでている岩にしがみつきながら、渡渉をくりかえす。 身体は雨と沢の水で、冷めたくなっている。 そうしながらも歩いていくと、沢が直角に曲って、大きな水しぶきを上げている所へ出てしまった。 万事休すである。 そこを渡渉するのは、どうみても不可能である。 ますます強くなる雨足に、沢の水はどんどん増えてくる。 もう自分たちの立っている所も、水に侵されてきた。 そんな時である。 正面の10メートル程の、つき出した技尾根の頂きに、道があるような気がしてきた。 急勾配をあおぐ。 10メートルうえの技尾根には、道があるように思えて仕方ない。 このままここにいるのは危険だ。 すでに雨は台風のそれらしく、豪雨である。 友人はまだ冷静で、道はないと思っていたらしいが、筆者の説得に半信半疑となってきた。 そのうち、枝尾根の上には必ず道があるはずだ、という確信に変った。 やがて、2人は重い荷物を背負ったまま、急勾配の木のあいだを登りはじめた。 当然、上には何もなかった。 仕方なしにその尾根を越えて、ふたたび沢へ降りた。 これは芸術的忘我ではないが、やはり忘我である。 冷静に考えれは、山もだいぶ下った枝尾根に、道などあるはずはない。 しかし、一度そう思い込んでしまう と、尾根のうえに道がある、と確信するようになってしまう。 困難な状況のなかで、どうすれは良いかが判らなくなってしまう。 こういった形での忘我は、当然ながら大変まずい結果に陥入る。 より悪い状態へと、自分を追い込んでしまう。 芸術的忘我が、狂気と紙一重といえども、一般に認められるのは、それが平常に対して何か有用な働きをなす、と思われているからである。 | |||
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