認識×6+忘我論   第7−2回
1982年〜「花泥棒」に連載 

第1回 神・仏・人
第2回 擬制の血縁
第3回 性差を越えて
第4回 約束された価値
第5回 時と共に
第6回 他国を遠望して
第7回 忘 我
     
第7回    忘我   自我の反対側にあるもの   その2
−芸術的感動−
 論理をおって展開される理詰めの話が、人を納得させる場合もある。
しかし、映画が虚構であり、たった2時間しか続かないものだと知りつつ、私たちは笑ったり涙をながしたりしてしまう。

 心の底からゆさぶられる感動は、どうも理詰めの話からではなく、たとえ虚構と判ってはいても、忘我の状態である場合が多いように思える。
それは一種の狂気であり、常識や平常の判断が及ばない世界からの衝撃であるように思える。
それは一般に芸術と呼ばれる世界である。

 今まで本論は、あえて芸術的世界にふれないできた。
それは、次の2つの理由による。

 第一の理由は、芸術的な感動は、短い時間しか続かないものであること。
芸術的感動の衝撃力の強さは、認めるにしても、感動そのものを継続的に体験できない。
たとえ、その時のその感動が、その人の一生を決定するほど、強いものであったとしても、その感動自体が持続するのではない。
芸術的感動が、生活の次元まで降りてきて、日常的な世界におさまって持続する。

 それともう一つの理由は、そうした忘我の感動的世界であっても、時間がすぎると相対化できる。
また、必ず相対化せざるを得ない。
たとえ画家や詩人・作曲家が、作品を創る瞬間は忘我であったとしても、自我の状態に戻るのをくり返さなければ、次の作品を作ることは不可能である。

 精確にいえば、まったくの忘我では作品を産み出すことは不可能である。
すべての芸術家は、次の作品を創るあいだは、生活者にもどって、冷静に自分の作品を見なおしているはずである。

 いやもっと極論すれば、作家の手をはなれる一瞬だけで、作品がなりたっているのではない。
筆や鉛筆を動かしているあいだは、いつも常なる自己検証、いい かえると自我の確認にさらされている筈である。
作家がほんとうに忘我になってしまったら、筆を動かしたり、言葉をあやつるのも不可能になってしまう。

 忘我の状態が、大きなエネルギーをもっていることは認める。
しかし、人の思惟構造は、自己を見つめる以外にとりようがない。
作品を見たり聴いたりする、いわば受け身の場合には、忘我だけというのも可能である。
しかし、作品を送りだす側については、なかなか忘我では語れない。

 以上のような理由で、忘我は人にとって例外と考えた方が良く、生活時間の大部分を占めるのは、やはり冷静に自己を見つめる構造である、と考えている。
しかし、忘我が例外だからといって、重要ではないと言っているのではない。
むしろ例外を認めることこそ、通常の状態をよりよく理解する途である。

 優れた芸術作品は、絵画であろうと詩であろうと、人を忘我の状態にすることができる。
また映画や演劇は、総合芸術と呼ばれるように、視覚と聴覚の二感に訴えかける。
そのために、比較的簡単にしかも強力に、忘我の状態にひきずり込む力をもっている。

 小説のように視覚だけに頼る場含のほうが、より想像力をかきたてられることもある。
たとえば美人の主人公が、大活躍する小説が映画化されると、小説で読んだときは、ほんとうに美人だと思っていても、映画女優を見てガッカリしたりする。
ここでも忘我を解く鍵は、自我と同様に想像力であることが予感される。

 芸術的な虚構の世界では、人の全感覚を対象とすることは困難だが、現実の生活では二感にとどまらず、五感いや六感まで使って体感されている。
具体的現実の世界では、人はつねに全部的に外界と接触している。
そのため、現実世界での例外的状態、つまり忘我の状態は、虚構の世界のそれとは違って、非常に強力に人を襲う。

 現実の世界では、どの時点から忘我となったかが、なかなかはっきりしない。
そのため自我か忘我かが、当人には最後まで判らないのである。

−忘我の体験−
 かつて筆者は友人と二人で、丹沢山に登ったことがある。
大倉尾根を登り、塔ケ岳から丹沢山をへて、西丹沢のほうへと、2泊3日で縦走する計画であった。

 周知のように丹沢山塊は、谷川岳などと同じように東京に近く、短時間で山のふもとに立つことができる。
そのため、気軽な気持ちで入山しやすい。
しかし、一度天候がくずれると、困難な山行となるのは、どの山でも同じである。

 若くて体力に自信のある頃であったから、丹沢を見くびっていたのだろう。
台風の接近を知りながら、丹沢山塊に向った。
すでに山は荒れはじめていたが、まだ本格的な風雨はきていない。
このくらいなら大丈夫だ、と歩を進めていた。

 2日目の途中まで来た時である。
どうも道を間違えたらしい。
尾根の縦走であるから、一番高いところを歩き続けるはずである。
それがどうも沢筋に降りているらしい。
いくら出登りが好きな人でも、登るよりは降るほうが楽である。
ついつい足は楽な方へ向いていく。

 気がついて見ると、あたりには石がゴロゴロしている。
もう沢のなかである。
風雨がひどくなってきた。
懸念していた台風が、本当に近づいてきたらしい。
雨着は着ているけれど、もう全身ぬれしょぼれている。
ぬれたズボンは、足をもち上げるのも大儀にさせてきた。

 山の原則にしたがえば、知らない沢にまよい込んだら、尾根へ引き返せである。
知らない沢は、どこにどんな滝がかかっているか判らない。
沢を登るのは容易にできても、沢を降るのは2倍も3倍もの技術がいる。
沢を降っている途中で、滝に出てしまったらお手上げである。
少しつらくても、尾根まで引き返すのが、 山登りの原則である。

 しかし、我々は増水しはじめた沢を降りてしまった。
右岸から左岸へと、ときどき道を変えて流れを渡る。
最初のうちは、渡渉も簡単であった。
水量も少ないし、沢幅も狭い。
しかし、台風の接近にともなって、風雨はどんどん激しくなる。

 台風が来るまでに、この沢を出てしまわなければ危険だ。
気はせいてくるが、思うように進まない。
すでに水量は腰のあたりである。
水中にでている岩にしがみつきながら、渡渉をくりかえす。
身体は雨と沢の水で、冷めたくなっている。

 そうしながらも歩いていくと、沢が直角に曲って、大きな水しぶきを上げている所へ出てしまった。
万事休すである。
そこを渡渉するのは、どうみても不可能である。
ますます強くなる雨足に、沢の水はどんどん増えてくる。
もう自分たちの立っている所も、水に侵されてきた。

 そんな時である。
正面の10メートル程の、つき出した技尾根の頂きに、道があるような気がしてきた。
急勾配をあおぐ。
10メートルうえの技尾根には、道があるように思えて仕方ない。
このままここにいるのは危険だ。

 すでに雨は台風のそれらしく、豪雨である。
友人はまだ冷静で、道はないと思っていたらしいが、筆者の説得に半信半疑となってきた。
そのうち、枝尾根の上には必ず道があるはずだ、という確信に変った。
やがて、2人は重い荷物を背負ったまま、急勾配の木のあいだを登りはじめた。
当然、上には何もなかった。
仕方なしにその尾根を越えて、ふたたび沢へ降りた。

 これは芸術的忘我ではないが、やはり忘我である。
冷静に考えれは、山もだいぶ下った枝尾根に、道などあるはずはない。
しかし、一度そう思い込んでしまう と、尾根のうえに道がある、と確信するようになってしまう。
困難な状況のなかで、どうすれは良いかが判らなくなってしまう。

 こういった形での忘我は、当然ながら大変まずい結果に陥入る。
より悪い状態へと、自分を追い込んでしまう。
芸術的忘我が、狂気と紙一重といえども、一般に認められるのは、それが平常に対して何か有用な働きをなす、と思われているからである。
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