認識×6+忘我論   第5−2回
1982年〜「花泥棒」に連載
 
第1回 神・仏・人
第2回 擬制の血縁
第3回 性差を越えて
第4回 約束された価値
第5回 時と共に
第6回 他国を遠望して
第7回 忘 我
  
第5回    時と共に    その2
−神殿をつくる−
 人は何のために神殿を作るのだろうか。
奈良の法隆寺の中庭に立つと、通りすぎる風とともに、立つ者を押し包んでくる強烈な力を感じる。
それは千年になん なんとする歳月の重みでもあるかも知れないし、奈良というかっての都だったせいかも知れない。
しかし、多分それは完璧に残された神殿のせいだろう。

 当時の職人たちは、木を切ったり石を運んだりと、現在の建築労働者と同様の作業をしたはずである。
けれども、そこには大きな落差があった。
現在の建築労働者と同じ労働でありながら、ほとんど重ることのない労働だったはずである。

 当時の人々の日常は、現在の人々のそれより、はるかに過酷であったに違いない。
生きることそれ自体が、大変な作業であったろう。
食べ物を手に入れること自体が、今よりずっと困難であったろう。
けれども、神殿を作る仕役に服さねば、日々を送ることが不可能だったはずはない。
その使役から脱走しても、彼らの生活は可能だったはずであり、他にも生活の道はあったであろう。

 いくら流通が未発達といえども、食べ物はなんとか入手できたはずである。
寺院建築に従事しなければ、生活できなかったはずはない。
それにもかかわらず、 あの建物群は完成した。
では、支配者が建築労働者を強制労働に従事させたのか。
それは違うだろう。
寺院建築にあったのは、強制的なムチの力が働いたのでは ない。

 ほんとうの話は現代社会でも、私たちは会社に勤めなくても生きていける。
これだけ高度な文明社会の今日でも、文明社会の恩恵を受けることさえ拒否すれば、人は会社に勤めたり金をかせがなくても生きていける。

 現在の日本は、歴史上どの時代よりも強権国家であり、日本の土地は法によって完璧に占有されつくしている。
それゆえ、支配の目こぼれとしてしか、隠棲は不可能である。
軍隊をもたない隠遁生活は、論理矛盾である。
しかし、食べ物さえ手に入れば、山のなかで自然を相手に数人で生活することは、不可能ではない。
最近でこそ見かけなくなったが、サンカの存在がそれを証明している。

 暗くなれば寝れば良いのだし、山の湧き水は充分に飲料になる。
日本の自然は、そのくらいには温暖だし、暮しやすい。
我が国は、植物が一切成長しない灼熱の砂漠ではないし、すべてが氷でおおわれるツンドラでもない。
確かに飢饉や日照りがたびたびおこり、農民の生活が脅かされたかも知れない。
けれども、社会のなかで生活する農民ですら、それを回避することが不可能だったとすれば、当時の社会をぬけだして独力で生活する者にも、同程度に自然は過酷だったにすぎない。

 私たちが自立的な生活を、想像することができないのは、貨幣という化物が人をとりこにして久しいからなのだ。
労働を貨幣という抽象物で、換算する制度をつくって以降の人は、人の独立性を社会的な関係のなかに、解消してしか理解できない。
過去の治世は、非常に残酷な武力支配であったというのは、現代から見た支配のイデオロギーである。

 交換が普及するにしたがって、人は相互依存的になる。
他人から与えられる果実と引きかえに、ヒトは独居性を失うのであって、これは文明が高度になることと、平行の関係にある。
コンピューター化した社会での、停電を想いうかべれば、簡単に想像がつく。

 しかし、現在の私たちも奈良の人々も、ともにその社会からぬけだしたり、自分から死んだりしない。
人が社会生活を営むのは、人の存在基盤が今も昔も、物質的な生活には直接おかれていないことの証しに他ならない。
人は昔も今も意識によって生きている。
たとえ山の中で生活することが可能だとしても、それをしないのは、ヒトが人であるからに他ならない。

 そう考えると現在の人が、不本意な労働には耐えられずに、途中でやめてしまうのと同様、昔の人も不本意な労働であれば、途中で止めただろう。
だから、昔の人も大仏作りや神殿作りが、本当に不本意だったはずはない。
支配者たちの単なる気まぐれで神殿は作られたのではなく、上は棟梁から下は雑役にいたるまで、神殿作りに心から協力していたはずである。

 底辺労働者たる雑役夫にも、いやな仕事・希望のない仕事を、強制し続けることは不可能である。
外的強制だけでは完璧な建物はできず、いやいややる仕事は長続きするはずはない。
おそらく彼等も、現在の建築労働者と同程度には、建築仕事が好きだったはずである。

 十人を一人が、百人を十人が管理し、支配するのが人の社会であり、その時の武器は決っしてむきだしの力ではなく、被支配者の意識に対して、観念的作用として支配の力は行侵される。
むきだしの暴力による支配は、必ずくつがえされる。

 余談ながら、日本人の大部分は、大平洋戦争を聖戦と信じていた。
満州事変をおこした関東軍を、当時の国民は熱狂的に支持しているのが事実である。
誤りで あると判っていたら、日本は最初から戦争を始めることができなかった。
戦争に負けたので、戦争に反対だったというにすぎない。

 世の中がそうなってしまったから、私は仕方なしに大勢に従ったのだというのはウソである。
軍部だけが独走したのではない。
天皇はもちろん日本人の大多数が、戦争を心から支持した。
これを認めないと、現在の私たちの生活も、また砂上の楼閣であると認めることとなってしまう。
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