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今、やっと私たちは抽象の世界に、歩を踏み入れることができるようになった。 コンピューター言語のように、直接的に物との対応関係をもたない言語が語られるようになった。 物対言語(約束された価値)の関係が、大きく変質してきた。 言語はふつう音として知覚される。 音の連なりが言語であるが、風の音と口からでる音に、音としての違いはない。 しかし、音と言語は違う。 音として発せら れた言語もどきは、何の意味もない。 それは叫び声や、うなり声としか呼べない。 ヒトが人に移る時に獲得したものは、社会性をもった音としての言語であっ た。 生後半年の乳児が、偶発的に「マンマ」と発音したところで何の意味はない。 もちろん、発声のくり返しが、結果としての社会的言語へと連らなっていくのだが、この時点では単なる風の音と同じである。 「マンマ」が食べ物と結びついてはじめて、つまり、社会を構成する基底をくぐってはじめて、人の口から発せられた音は言語と呼べる。 だから、同音の異国語は何の意味もない。 英語の主格を表わすTと、日本語の愛とは、まったく無関係である。 つまり、音が社会性と結びついて、はじめて認識の武器としての言語 と、呼べるのである。 ところが、言語獲得とその形成は、無意識のうちに行われるため、言語の位相と事物の位相が同体のままになりやすい。 めったなことでは、言語と事物のあいだの距離を、自覚することはなかった。 何か物を見たとき、人の頭のなかでそれが何であるかを識別するのは、瞬間的にほとんど無意識のうちになされている。 たとえば、茶碗を見たとき、人の頭のなかにある一般の概念として、茶碗なるものに引き寄せて、これは茶碗であると判断している。 ところが、よく考えてみると、茶碗それ自体と茶碗という言語とのあいだには、一義的な対応があるわけではない。 当然のことだが、深い茶碗もあれば浅い茶碗もある。 茶碗という言語は、茶碗一般をさし示すことはできるが、具体的なそのものとしての茶碗を直接に特定し、表示することはできない。 たとえ茶碗という言語に、赤いとか、大きいといった、たくさんの修飾語をつけても、茶碗そのものを表示することは不可能である。 その逆も同様に不可能であって、茶碗という物自体では、茶碗一般という概念を示すことはできない。 茶碗と同じ色や形をしていても、茶を飲む用に供さないものを茶碗とは呼ばない。 これを見ても判るように、一つの単語や言語が意味するのは、あくまで物自体ではなく、物から一度抽象された概念である。 <痛い>という単語の時にも述べたが、言語と言語がさし示す物自体のあいだには、実はほとんど架橋できな いくらいの距離がある。 物自体をいくら並べても、単なる物の羅列に終わる。 茶碗をたくさん並べても、茶碗という言語は、自動的に生まれるわけではない。 そこから意味性を引きだ して、共通項でくくって概念化して、はじめて言語となる可能性が生れる。 物の概念化=抽象化は、人が想像力を使ってするのである。 物自体になにやら意味があるのではなく、むしろ、事物にどういう意味附与するかが問題なのである。 意味附与される状態を、<約束された価値>と呼ぶことにする。 この<約束された価値>は類的=社会的に約束された価値であり、事物と言語のあいだを埋めるものとして考えられている。 一度きりの約束ではなく、何度も何度も無限に、約束され直され続ける約束として存在する。 この約束とは、もちろん 無意識になされる約束を、含むのは当然である。 <約束された価値>は、ヒトの想像力(無意識の想像を含む)によって支えられている。 ヒトの想像力は、当人を自殺させることさえできるくらいに、人の全存在を支えている。 そう考えると、<約束された価値>とは、ヒトが人たるゆえんのすべてを、制御するものだと知る。 人が言語を使用し、思考することが可能なのは、<約束された価値>を無意識のうちに共有しているからである。 もっと言えば、言語が言語たるのも、宗教が宗教たるのも、国家が国家たるのも、すべて意識かつ無意識のうちに、<約束された価値>を共有しているからである。 一見すると平易な事象や単純な物は、それ自体の属性として言語をもっているように、感じるかもしれない。 しかし、どんな平易なことや物であろうとも、言語は事物から離れてしか存在しえない。 これは茶碗のような名詞にかぎらず、動詞にあっても形容詞にあっても、すべて同じである。 抽象的な概念を示すときに使う、抽象名詞というのがあるが、事物自体を言語は指示できないという意味では、すべての語が具体性をもたない。 固有名詞は例外のように見えるが、これも程度の差にすぎない。 10歳のAさんと70歳になったAさんでは、別の個体と呼んだほうが良いくらいに、まったくの別人のように見えるだろう。 しかし、人はAさんと呼び続ける。 コンピュータ言語が登場するまでは、具体的な事物と言語で抽象された世界が、ほとんど二重うつしになって見えていた。 そのため、両者のあいだの距離を計ることができなかっただけである。 それは多分、労働力が不足している社会では、自然は過酷なまでの厳しさでヒトを襲い、観念と事物を切りはなして見ることを、許さなかったことに相当の理由があると思う。 初期の人類は、農業を覚えた。 農業の世界は、ヒトの土地への具体的働きかけが、直線的に収獲に結びつくものである。 観念的な思考よりも肉体労働がものいう。 農業では人の作為は、観念のフィルターを対象化する巾をもちえなかった。 だからヒトの思考が、具体的な物や直接的な自然との関係、そして肉体労働と いった領域から、離れられなかった。 ヒトの歴史のほとんどをしめる農業時代は、人の直接的な肉体労働が、いわば最後のすべり止めといった中心的存在としてあった。 その世界では自己の働きか けと、反応は感覚的にもつながっていた。 しかし、今、その距離が感覚的にも、実感できる時代になろうとしている。 機械文明が、言語をはじめとする、人の意識野をやっと撹伴しだした。 機械という暗箱を通ることによって、人の労働は平均化され、<約束された価値>が自覚的に残る。 −実践と教えること− スポーツの世界では、結果が順位や時間で表わされるために、優劣の表記はかんたんな場合が多い。 しかし、教えることとなると話は別である。 現役時代に 優秀だった選手が、監督やコーチとしても有能であるかどうかは、ほとんど一致しないとは、最近でこそ言われるようになった。 明治になって、スポーツは日本に入ってきた。 スポーツは歴史が浅いために、私たちの身についた感覚で、教えることを判断するところまで、倒達してないように思われる。 教えることに関しては、むしろスポーツに近い側面をもつ武道に、同感する部分があるように思う。 武道はかつて本当に命のやりとりをした。 そして、武道の世界で強者として残ってきたのは、すべて自らが武道者であった。 この時代には、自分は戦わずに、教えるだけの武道者はいなかった。 彼等は挑戦者を倒して、自らの優位性を示してきた。 武道者とは、とにかく強くなければならなかった。 将来は必ず強くなるだろうが、現在はまだ弱い者が、強い者と戦えば、必ず弱い者が負ける。 武闘は素質や将来性の勝負ではなく、その時点での強弱が勝敗を決めたのだ。 素質や将来性を云々されるのは、スポーツである。 現在の武道は、命のやりとりをしないので、武道の本質が表面化しない。 もし今でも、本当に命のやりとりをしていれば、強い者が生きのび、弱い者は殺される構造は変わっていない。 そして、幸運に生き残った者をとおして、武道を考えることになる。 そこから抽象されて来るのは経験であり、勝った負けたという事実そのものである。 武道という抽象的なものではなしに、武道者自身の軌跡が表出されたに過ぎない。 武道者も幼い時期があったはずであり、初心の時代があった。 武術を身につけるためには、教えを受けなければならない。 初心の者は、武道の世界に入ったつ もりでも、実際は師たる武道者に重る手続きをとる。 つまり、師たる武道者の歩んだ道を、追跡する修業へと結果する。 そのため、経験則としての武道者は具体的な存在としてとどまり、武道そのものへとは、なかなか至らなかった。 師たる武道者も、自ら戦ったので、常に誰よりも強くなければならなかった。 弱い師は途中で殺されていなくなってしまう。 実践と理論が分化せず、師という具体のなかに武道理論を見るかたちとなって、各々の武道が継続してきた。 武道にかぎらず、私たちが習い事をする場合は、学校を初めほとんど全領域で同じことがいえるだろう。 実践と教えることが未分化な世界では、人から離れて体系立った教科書が生みだされることがない。 技術は直接に人から人へと伝えられる。 現代では、武道が命のやりとりをやめ、スポーツとなった。 スポーツ化した武道の流行をむかえても、私たちの感覚は師にたいして、武道家もしくは選手として優れている、または優れていたことを期待し続けている。 教える者が一流の選手でなくても、一流の理論を身につけた、一流のコーチは存在する。 理論と実践は、分離される傾向を見せてはきたけれど、いまだに教える者が、勝ち残った者であるべきだと考えている。 いいかえると無形のものではなく物自体に、価値を見だす気質がしつこく残っている。 | |||
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