認識×6+忘我論   第4−4回
1982年〜「花泥棒」に連載 
 
第1回 神・仏・人
第2回 擬制の血縁
第3回 性差を越えて
第4回 約束された価値
第5回 時と共に
第6回 他国を遠望して
第7回 忘 我
  
第4回    約束された価値    その4
−兵器と戦略−
 今まで価値あるとされたのは、無形で目にみえないものではなかった。
価値のあるものは、具体的な物自体であった。
たとえば戦争のときに、本当に大切なのは武器や兵そのものではなく、それ以上に戦術であり戦略である。
武将は手持ちの武器や兵士で、戦わなければならず、現状の兵力に適した戦術や戦略が求められる。

 予算や期間に余裕があるときには、戦術や戦略にしたがって、武器や兵が集められる。
しかし、そんな時でも先行すべきは、無形な戦術であり戦略である。
にもかかわらず、偉力のある大砲や高度なメカニズムをもった兵器が、戦いの勝敗を決っする、といった錯覚におち入りやすい。
負ける戦争をさけ、敵軍に占領を許すのも戦略である。
そして、再起を用意するのである。

 中国の古典的戦いに登場してくる軍師の存在は、日本では比較的軽くみられ、首領自身が優れた軍師でなければならないことが多かった。
そのため、戦略や戦術に論及されるのが少なかった。
たとえば歴史教育においても、織田信長の全国制覇の原因は鉄砲であった、かのごとく教えられてきた。
しかし、これは何の意味もない。

 織田信長が戦いで勝利をえたのは、鉄砲を使用することが、戦いを有利に進めうることを見ぬいていたからであり、それをどう使用するかを誤らなかったことによる。
彼と同程度の領地を持った戦国大名はたくさんいた。
他の戦国大名が、鉄砲を入手できなかった絶対条件はなかったはずである。

 織田信長だけが偶然にも、大量に鉄砲を入手できたのだとは、どうしても考えられない。
彼は他のものを犠牲にしても、鉄砲を入手する決意を、他のどの戦国大名より強くもっていたに違いない。
彼は戦略・戦術をふまえた戦いの鍵を、早く正確に見ぬいていた。
だから戦いに勝利したのである。

 鉄砲は使用されなければ、ただの鉄のかたまりにすぎない。
その鉄のかたまり自体に、なにやら意味があると思ったので、私たちは無形で眼にみえないものに、無関心な社会を作ってしまった。
ほんとうは物自体でないにもかかわらず、物が世界を支えていると考えてきた社会が、言語を正確に措定しないし、思考の回路を対象化しなかったのは当然であった。

 現代になって、個々の言語を支えてきた<約束された価値>が、基本的なところではまだ共有されつつも、ある部分では共有されなくなってきた。
そのうえ、 言語自体が具体的な物との直接的関係性を、欠如したまま流通するようになった。
抽象度の高い言語が、使用されるようになったので、私たちの意識は逆に<約 束された価値>の存在を、いやが応でも自覚せざるをえない情況に追い込まれた。

 <約束された価値>の顕在化は、それまで無自覚であった認識の手段の足元を洗いはじめている。
いままでは物自体のうえに、築かれた価値をもとに思考して来たのだが、これからは無形のもののうえに、<約束された価値>は移ったように思う。
いや、以前からその構造は変ってはいなかった。
ほんとうは一度とし て、物のうえに直接に世界が、成り立っていたことなどなかった。

 世界はいつも<約束された価値>という形で、類的に人の頭のなかにあり、個的にはヒトの想像力によって支えられていた。
国家が国家として機能するのも、機動隊がデモ隊になぐりかかることができるのも、<約束された価値>によっているのである。

 戦争に負けた人々が、ボードピープル=難民というかたちで、世界の放浪に旅だつのも、<約束された価値>がそうさせるのである。
大平洋戦争に負けたと き、日本から難民が発生しなかったのは、それが世界大戦だったせいばかりではない。
私たちの想像力が、国家とは<約束された価値>だ、と見ぬけなかった、 という理由によるのである。

−全的視野−
 国家が<約束された価値>だ、と見ぬいた人がいたとしても、すぐ明日から世界が激変することはない。
しかし、自己の立っている場所を、全的に意識野に繰り込むことが、可能となることだけは確かである。

 走っている電卓のなかで鉄球を落すと、垂直に落ちていくようにしか見えない。
しかし、走っている電車を全体として見ることができると、鉄球は地面にたいして放物落下運動をしている、と認識できるであろう。

 人と物を両極として、そのあいだに個における想像力と、類的に<約束された価値>なるものを架け渡すことによって、私たちは一歩前進できたと思う。
すべてヒトのなすことでありながら、人の外へと外化されてしまわざるを得ない<約束された価値>なるものを、再度内なるものとして内化させるとき、私たちは次 の出発点に立つことが可能となるのである。

 <約束された価値>という概念は、1971年頃から使いだした。
本論を書いた1982年から、ずいぶんとたって吉本隆明氏の「共同幻想」と、よく似ていることに気づいた。
もちろん似ているが違う概念である。
今は懐かしい。

 <美>が物から未分離だというのは、真善美が未分離だというの等しいだろうか。
どこでも前近代では、真善美は未分離のままだった。
しかし、近代になると き、真善美は分化し、それぞれ別々の担い手をえた。
いまでは真が美であるとかぎらないし、善が美であるとはかぎらないと、周知されている。

 振り返ってみると、我が国では真善美を担うのは1つの主体である、と見なされているように感じる。
未だに真善美が一致しているようだ。
その結果、物と概念が未分化のままだ。
鉄砲と織田信長の話は、ピストルの所持を禁止する銃刀法という、法律となって残っているだろう。

 ピストルそれ自体は、単なる鉄のかたまりに過ぎないのに、ピストルさえ持たせなければ犯罪がおきないと考えているかのようだ。
刀狩りを見ても判るように、武器の所持禁止は、支配者の思想だが、支配者だけのことを言っているのではない。  

 物に意味を込めるから、ピストルという物を所持禁止するのが自然だと感じる。
物への思い入れは支配者だけではなく、国民全体が同じように感じている。
だから、ピストルの所持禁止は、ほぼ全国民的な賛同があるだろう。
それと同時に、物作りに熱心な我が国の資質も、物と概念の未分離に求められるだろう。

 工業社会は物作りが最優先だったから、我が国の得意な資質がきわめて有効だった。
物に執着すればするほど、物の製造精度や工作精度が上がり、世界中を日本製品が席巻した。
しかし、物と概念の分離し始めた情報社会で、我が国の特性は有効に働き続けるだろうか。
本論は「人間へ」と題して書いたが、今回、「約束された価値」と改題した。
(2007.07.31)
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