家を建てようとする方へ:発注する前に  第2部

目    次
  第1部
はじめに 1.建築界の仕組み 2.一軒の家 3.時代が変わった
  第2部
4.設計の限界 5.家は商品か 6.設計を支えるもの

4.設計の限界    その2

 現在建築される住宅は、その間取りを見ただけで、何人家族だと簡単に判ります。
つまり、居間と寝室といくつかの子供部屋から、成り立っているのが現在の間取りです。
設計する側も、何人家族だからこのような間取りはどうかと考えていますし、住み手となるあなたもそう考えているはずです。
そのために、現代の間取りを見ると、居間とか寝室とか子供部屋とかといった、その部屋の目的となる名前がついています。
ところが、かつての間取りは奥の部屋とか中の部屋とか呼ぶこともあったでしょうが、それは部屋の位置を表しているに過ぎません。

="text/javascript" src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">

 単純な間取りは、とりもなおさず家の間取りに、住む人間の方であわせていたことを意味します。
家族が増えようが減ろうが、間取りは変わりません。
現在ですと、子供が大きくなったから、増築する話になるのですが、昔は子供が大きくなるどころか、嫁が来て人数が増えても増築はしません。
ただ家の中での人口密度が上昇するだけ。
つまり、一部屋を大勢で使うだけでした。

 現在の住宅の間取りは、家族の人数分だけ部屋が必要だと考えています。
居間と夫婦の寝室(夫と妻の部屋が別々に必要となりつつある)、子供部屋、老人室、予備室…じつにこまごまと小さく区切った部屋が、連なっているのを見かけます。
間取りにたいする考え方は、家中心から人間中心へと変化したと言えます。
この間取りが人間中心に変化したことが、家作りを困難にしている大きな原因でもあります。
その変化が最近のできごとであるために、私たちはなかなか間取りの決定版を、もつには至っていないのと言えるでしょう。

 かつては茶の間と呼ばれる、食事と団欒を兼ねた何でも部屋が、台所の隣にありました。
その部屋は、ちゃぶ台をだせば食堂にもなり、食事以外の時には団欒のための部屋でもあり、繕い物や洗濯物をたたんだりする作業部屋でもあり、低学年の子供には勉強部屋でもありました。
そのうえ、客間にもなったし、寝室にもなったりしました。

 ダイニング・キッチンや食堂と呼ばれる部屋が、現代の間取りに登場してきました。
茶の間を、食堂と居間に分化させた現代の間取りは、多くの家庭で消化不良をおこしているように感じます。
その原因は現代の間取りが、私たちの人間関係を無視しているせいです。
現代家庭にとって、台所、食堂、居間の同時使用はありません。

 日曜日に、全員が家にいると想定して下さい。
食事の準備はたいていお母さん(食事を作るのは女性の役割とは限りませんが)が台所に立ち、子供やお父さんはまだ居間にいるでしょう。

食堂に食器が準備されて、もう座ればよい頃になって、お父さんが食堂へやってくるでしょう。
そして、全員が揃って食べ始めます。
食堂は食事をする部屋であって、団欒をする部屋ではありませんから、食事が終わったら団欒のために再び居間へ移動します。
あとかたずけは機械がすべてやってくれて、お母さんも食後の団欒に加わっている。
こんなことが考えられるでしょうか。

="text/javascript" src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">

 食事を食べるまでは、このとおりになるでしょう。
なぜなら、食事作りに積極的に参加する男性もしくは、男性が食事を作る家庭はまだ少ないだろうし、専業主婦なら食事作りは当然の仕事でしょう。
お父さんは食事が出来るまで、食堂でビールでも飲んで待っているとしましょう。
けれども、ただビールを飲むだけでは間がもちません。
テレビでも見ながら、新聞でも読みながらとすれば、もう食堂は居間の機能を持ち始めます。
私たちは、食事のためだけの部屋をもった時代を経験していません。

 食堂の独立は、女中がいないと機能しない間取りです。
女中が食事の準備からあとかたずけまで、裏方の仕事を全部やってくれるから、食堂が独立していても家が無事に機能します。
現代の家庭に女中がいると思いますか、もしくは、あなたは女中を雇いますか。
答えは確実にノーでしょう。
女中がいないとすれば、食後の団欒の笑い声を聞きながら、誰が食後のあとかたずけをするのでしょう。
食器洗機は、この問題を解決してくれません。

 では、食堂を独立させず、台所と一体化したダイニング・キッチンと居間という組み合わせを考えてみましょう。
居間が畳の和室だとすると、台所のなかの食堂部分が使用されず、多くは冬のあいだに和室で食事をするようになっています。
コタツは何とはない親近感を抱かせます。
テレビのある畳の居間が食堂兼居間となるのは、いかんともしがたい自然の成り行きです。
これは古くからある茶の間に他なりません。
そして、そうなったときには、台所の一隅に用意されたテーブルは、うずたかく物を積み上げられているか、幸運な場合は配膳台として働いていることでしょう。

="text/javascript" src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">

 しかし、この場合でも居間を洋間にすると、食堂のテーブルは俄然有効になります。
家族は食事が終わっても、なかなか居間へ移動せず、食事用にテーブルが団欒用のテーブルへと、そのまま滑り込んでいきます。
この台所は、食事のあとかたずけをしながら、食後の果実を食べたり、お茶を飲んだり、便利この上ない場所です。
こうして食事と団欒のテーブルが渾然一体となる頃、何時とはなしにテレビが持ち込まれて、洋間の居間は単なる通過する部屋となってしまいます。
そして、居間にあるソファは、たまに来る客のための落ち着かない妙な家具となっています。

 これは当然の結果です。
私たちは食事のためだけの時代をもったことはないといいましたが、そんなことが可能かどうか考えて下さい。
かつては食事中には喋ってはいけない、という躾を受けた時代もありました。
しかし、じつは食べたり飲んだりすることが、最高の団欒です。

 同じ釜の飯を食った仲という言葉のとおり、食事を一緒にすることが、親密さを確保する第一条件です。
家族はもっとも親密な仲間ですから、いくら流行の間取りをまねしてみても、自然と食堂と居間は一体化してしまいます。
昔も今も、家に来る客と飲食を共にすることが、最高のもてなしです。
外からの人を家族の団らんに引き入れるのが、心温まるもてなしです。

 家を人間にあわせようとする結果、いろいろの問題がおきてきました。
商人風、会社員風、大金持ち風といったスタイルがなくなった上に、家を人間にあわせようとするため、各人各様にさまざまな家が作られる時代にたちたりました。
かつては建築主の好みが、施工者にたやすく想像がつきました。
家作りのセンスを改めて問題にするまでもなく、建築主と施工者(職人)のセンスは似たようなものでした。
各人がバラバラになってしまった結果、あなたの家作りもやっかいになり、不安を感じるようになってしまったのが、本当の話だと匠研究室は考えています。


次へ進む

「タクミ ホームズ」も参照下さい