家を建てようとする方へ:発注する前に  第1部

目    次
  第1部
はじめに 1.建築界の仕組み 2.一軒の家 3.時代が変わった
  第2部
4.設計の限界 5.家は商品か 6.設計を支えるもの

3.時代が変わった   その2

 土地付き、土地っ子という言葉があるように、生まれてから死ぬまでそこに生活することが多かったので、近所の人々とも顔見知り、幼なじみといったつながりが出来ていました。
そうしたなかでは逆に、建築主にも職人たちの生活が見えていました。

 腕自慢の職人は上仕事を多く手がけ、金持ちの家に出入りするといった風でした。
その上、毎年植木屋が出入りするとか、建具の調子が悪くなるとあの建具屋、といったように出入りの職人をもっていました。
ところが、建築主のほうも、今まで裕福でなかった人が土地が、売れて億万長者になるとか、商売が当たって大金持ちになるといったように、典型的という生活が崩れてきました。

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 今までだったら、自分はこういう生活という、一種の約束事のような決まりがなくなってしまいました。
そのために、何を基準に、どんな家を作ればいいか、判らなくなっているのが本当のところではないでしょうか。

 生まれたところに一生暮らすのではなく、田舎から出てきたり、勤務先の都合で引っ越しをしたりして、その土地の人々の人間関係が希薄になってきました。
ですから、どんな家を作れば良いかに加えて、誰に頼めばよいかも判らなくなっているのが現代です。

 アパートやマンション暮らしでは、出入りの植木屋がいるはずもありません。
また、ちょっとした修理には、管理人が誰か職人を差し向けてくれます。
地域の人間関係が希薄になったのが、良いとか悪いとか言っているのではありません。
ただそうなったから、家作りが困難になったと言っているだけです。

 同時に施工者のほうにも、家作りを困難にする理由はあります。
かつては小学校を卒業すると、学校の成績が優秀な人間も、家が貧乏だったり、親が高等教育の必要を認めないと、すぐそのまま働きに出ました。
かつてはそうした優秀な人間(学業成績だけで、人間性を意味しないのはもちろんです)も、職人集団の中にはまじっていました。

 匠研究室で頼む大工さんに、小学校を一番で卒業したという人がいました。
ちなみに二番の人は医者になったそうです。
しかし現在では、職人になるのは高校へ進学できなかったり、高校中退といった落ちこぼれ組が、仕方なしに職人になるケースが多いのです。

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 落ちこぼれたから人間的に駄目と言っているのではありません。
職人仕事も一生懸命にやらないと、身につかないし良い仕事は出来ないといいたいだけです。
そのえう、家業としての職業の世襲がなくなり、職人の息子でも親の跡を継ぐことが少なくなってきました。
たとえ、大工棟梁の息子が大学の建築科へ進んだとしても、大工職人にではなく設計者になってしまう世の中です。

 かつて棟梁と呼ばれた人には、それはそれは優秀な人物が多かったようです。
個性あふれる職人たちを統率して現場を指揮し、建築主との交渉、町内の世話役まで何でもこなした人間でした。
そして、一口に大工といっても多くの大工は、棟梁のもとで働く大工職人でした。
もちろん元請けとして、仕事を受けるのは棟梁だけでした。

 棟梁は人間的にも幅が広く、字も達者なら小唄の一つもこなしました。
いまなら、絵画、音楽にも造詣が深いと言ったところでしょうか。
ところが現在は、多少の修業期間(5年なのだが、最近はそれすらも危ない)が終わると、皆独立して一人親方となってしまいます。
趣味といったらパチンコだけといった大工職人も、棟梁をはっている時代です。
とにかく、棟梁と呼べる人物が少なくなりました。誰もで看板をあげて、ただの大工職人が工務店を名のり始めました。

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 もう一つ重大な問題があります。
それは日本の大学の建築科は、木造建築をほとんど教えていません。
まず教授たちが、木に触ったこともなければ、木造と言うより、木を知らないのが事実です。
現実に建てられている住宅に関しては、絶望的に知りません。
ごく少数の大学が、ほそぼそと木造を教えているだけです。

 ですから、大学を卒業する設計者の卵は、木や木造についてまったく知らないままです。
杉と檜の区別もつかない学生がすべて、と言っても過言ではありません。
住宅といったら、木造が大半です。
こうした事情により、建築を実現するほうつまり設計者や施工者にも、建築主の信頼を失うことになった責任は大いにあります。

 現在では、印半纏で仕事場へ向かう職人は、ほとんどいなくなりました。
職人たちの生活は、半纏に象徴される、維持といなせとやせ我慢を地でいく毎日でした。
そうした職人たちをとりかこむ人々の生活も、それぞれのスタイルをもっていました。
ですから、職人たちもそうしたスタイルに合わせて、家作りをすれば良かったわけですし、建築主の要求もそう取り立てて変わったものではありませんでした。
また、家族構成も核家族ではなく、大家族でしたから、家族間の調整も困難でした。
家自体に対する希望も細かくだせなかったのが、本当のところだったのではないでしょうか。


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「タクミ ホームズ」も参照下さい