コンピュータなるもの
川崎八重子 & 匠 雅音

目  次
はじめに 1.コンピュータ前夜 2.錬金術を見なおす
3.アナログとデジタル 4.カンの数値化と数表 5.デジタルが近代を開いた
6.コンピュータの誕生をめぐって 7.コンピュータ・アーキテクチャー 8.ハードウェアとソフトウェア
9.すべてを点として理解する 10.ONとOFFの世界 11.パソコンの誕生と普及
12.インターネットの登場 参考文献

はじめに
 パソコンの普及によりコンピュータが身近になったとはいえ、コンピュータの歴史は浅く私達にはまだ馴染みがない。
にもかかわらず、コンピュータは身の回りにあふれている。
そのうえ、コンピュータとは何かを考えることなく、ゲームとしてまたインターネットとして私達はすでに使っている。

 21世紀における情報化の進展は、現時点の予想をはるかに超えるだろう。
今の我々には想像もつかない事態が現出するに違いない。
しかし、情報化の進展を支えるのはコンピュータである。
考える力や知識の習得をいっそう飛躍させるために、平成14年度から小学校指導要領(算数)にコンピュータの活用が新たに入ってくる。

1.コンピュータ前夜
 人類が狩猟採集の生活から出発したとすれば、数学が登場したのはそれほど古い話ではない。
しかし、数や図形にかんする話題に限ってみれば、数学の歴史は人類の歴史とともに始まったといえる。
バビロニア、エジプトや黄河流域からは数学の研究書が発見されている。
バビロニアでは2次方程式の解法がすでに知られていたことが、1930年代になってノイゲバウアー によって明らかにされた。

 上記のこうした数学は、いずれも実用上の目的をもって研究されたのである。
エジプトでいえば、ナイル川の氾濫後に土地を再区分するために幾何学が発達したわけだし、暦の作製のためや税の計算のためと、数学の研究にはそれぞれ目的があった。
そうしたなかで古代ギリシャの数学を体系的にまとめたのが、アレクサンドリアのエウクレイデスつまりユークリッドの「ストイケイア (幾何学原本)」である。
もちろん、この時代の思考の道具といえば、算盤、コンパス、パピルスや紙、そして羽ペンといったものだったことはいうを待たない。

 ギリシャと並びインドやアラビアでも数学は発展していた。
とりわけ10進法が用いられたインドでは、前2世紀頃から空位を表す ゼロ=0 が用いられ、代数が発達していた。
11〜13世紀になると、十字軍を通じて西ヨーロッパへとアラビアの文化が輸入された。
14世紀になると火薬や時計の発明、15世紀では活字印刷の発明などがあり、自然の観察を通じて徐々に合理的・論理的な思考が形成されてきた。

 磁針を使った大航海時代になると、大洋をすすむ航海のためにも数学はますます精緻さが要求されるようになり、星座の観測をはじめとする天文学とともに純粋な数学が発達し始める。
16〜17世紀にはガリレイが活躍し、コペルニクス の地動説を支持して、彼が時の教会と対立したことは有名である。
その後、デカルト やニュートン が登場し、近代合理主義の思想が花開くことになる。
彼等の多くが哲学者でもありかつ数学者でもあったことでわかるように、数字をもとに考え数字で自然を解析するというデジタルな思考がそれを支えていた。
デジタルな思考つまりコンピュータの誕生の胞子は、この頃に撒かれていたといってもよいのである。

2.錬金術を見なおす
 土地という自然を再区分するため、大自然のなかの大航海を安全に導くため、複雑な会計処理をするため、また自然界における力学の法則を知るためと、数学は実用に供される学問だったとは前述した。
近代にはいるまで数学が相手にした世界は、宗教や哲学が相手にしていた世界と何ら異なることはなかった。
自然界の混沌とした現象を、何とか人間の頭で理解しよう究明しようとして、いわば世界を理解する道具として数学はできあがった。
これに人間が本来持っている好奇心が加わって、いわゆる純粋数学が作られてきた。数学は哲学と同様に、きわめて論理的な思考である。

 コペルニクス、ケプラー 、ガリレオ などをあげるまでもなく、数学者は混沌とした自然のなかに法則性を見つけ、やがて規則的に繰り返す現象を発見する。
そうした自然の解明が今日のコンピュータにつながってくるのだが、それには西ヨーロッパで長く研究されてきた錬金術を無視するわけにはいかない。
長いあいだ黄金色の金は、豊かな財産の象徴だった。鉄や鉛などから金や銀などが造れたら、どんなによいだろうか。
誰でもがそう考えたに違いない。
価値の象徴としての貴金属へのあこがれが、錬金術をうみだしたのであろう。

 錬金術ときくと、手品か魔術のような気がして、およそ数学や科学とはほど遠い感じがするかも知れない。
今日では錬金術は否定されているが、錬金術が不可能と証明されるまでは、鉄から金を作ることは可能かも知れなかったのである。
どんな現象も研究された結果、その当否が判明し周知の事実となるのであって、最初から結果が判っているのではない。
いつの時代にあっても、研究の結果は研究をやってみなければ判らないのだから、当時は錬金術が大まじめで研究されていた。
万有引力の発見者であり、英国王立学会の会員だったアイザック・ニュートンも、錬金術師であった。

 錬金術では可能性のありそうな組み合わせを、すべて試してみることが不可欠だった。
成分や分量そして条件を少しずつ変えて、何度も試してみる。
それには、カンにもとづく目分量ではなく、精確に計量された数値つまりデジタルな表現が、必要だったことは容易に想像がつくだろう。
無限の繰り返しを、人間の頭がすべて記憶するのは不可能である。
きちっと材料を計り、混ぜ、加熱し、抽出し…こうした過程は、膨大でしかも正確な数字で管理された。
今日でこそ錬金術は誰も見向きもしないが、天文学と並んで錬金術こそ、近代の科学を生みだす揺り籠だったのである。 

 錬金術が隆盛を極めた時代に、数字を積み重ねて結論に至ろうとしたことは、明らかにここでデジタル的思考つまりコンピュータ的思考の原型が生まれている。
産業革命が始まるずっと前、つまり近代がやっと胎動を始めた頃に、デジタル的思考も産声を上げたといってよい。
計測して数字で表すデジタル的思考こそコンピュータの原点だと考えるが、コンピュータの登場までには長い長い歴史が隠されているのである。

次に進む