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3.アナログとデジタル デジタルの反対はアナログだろう。 しかし、アナログといわれても、それが何だかすぐには思いつかない。 デジタルならたやすく想像がつく。 腕時計の小さな窓の中に見える数字、あれがデジタルであろう。 気がついてみると、長針と短針を持った昔からの時計を、いつの間にかアナログ時計と呼ぶようになっている。 時刻を針ではなしに、数字で示すとデジタルと呼ばれるように、デジタルとは数字のことである。 アラビア数字を意味する digit に、al がついてデジタルとなったわけだが、もっと大胆にいえば、デジタル的思考とは数値的思考ともいえるだろう。 デジタルという言葉を聞くと、何となくコンピュータを連想するかも知れない。 コンピュータの内部では、0 と 1 の二つの数字だけが使われているので、デジタルといえばコンピュータのことだ、と思っても大きな間違いではない。 カンはそれを使う人間の体調にも左右されるし、いつも同じ状態で判断することはきわめて難しい。 いつも同じ判断をするためには、まず現実をきちっと計る必要がある。 それは言い換えると数字で表すことに他ならない。 つまり長さや重さなどを計ることこそ、デジタル的思考の始まりといってもよい。 デジタル的思考は突然に生まれたわけではなく、<精確に現実を見る>という人間の欲求が、数字での考察を希求したのでありデジタル化を生みだしたのである。 人類の歴史は経験によるカン的な思考から、デジタルな思考へと徐々に移ってきたといえる。 それはアナログからデジタルへの歴史といってもよい。 雅趣のある焼き物を作るには、人間の長い経験によって養われたカンやセンスが大きくものをいう。 今日では、セラミックという焼き物が登場してきた。 セラミックが手でこねて、炎の色で焼き加減を調整しながら作られているとは誰も考えない。 機械で作り、機械で管理した窯で、焼いているに違いない。 セラミックを作るには正確な温度や湿度また時間の管理、といった数字で表される情報におっている。 ここでは体験から生まれたカンつまりアナログ的な世界が、数字による制御にとって代わられた。 炎の色で温度を推し量り、太陽の動きで時の経過を計っていた時代から、数字で表す温度計や時計が登場してからは、デジタルな時代に入ったといえるのである。 (ただし、星の温度は今でも色で推定している) 幼稚だったデジタルや数値的思考が、人間のカンの代打になり得るようになったのは、何といってもコンピュータが登場したからである。 複雑な自然の営みを全て数字で表すのは不可能かも知れない。 しかし、重さや量を計って数字で表すといった平易な計量作業から、顕微鏡やほかの特殊な道具を使って、コンピュータに連動させて複雑な計測ができるようになったことは間違いない。 温度計や時計に限らずコンピュータを内蔵した計測器の進歩により、自然の状況がより精確に数字化できるようになり、しかもその数字を用いて自然を復元することすらできるようになった。 4.カンの数値化と数表 体験から生まれたカンを、一口で説明するのは何とも難しい。 ましてやそれを他の人に伝えるのは困難を極める。たくさんの言葉を並べても、カンが何だかを説明するのは難しい。 カンの急所ともいうべきカンどころを知るには、実際にやってみるより他に道はない。 その理由は、カンという知識は連続しているからである。 どこからどこまでがひとつのカン=知識だかわからず、総合的な判断をしているといっても、自分ですらカンが何であるかを自覚するのは難しい。 一つの焼き物を作るのにも、作家や職人の長い人生体験が、その背景にあり、彼等の体験のどの部分が焼き物の製作に用いられたのか、余人には知りようがない。 土の状態、成分、温度、湿度、時間などなど、他にも膨大な情報があるでだろう。 こうした情報をすべて数字で表しておけば、他の人でも以前の人と同じ状態を再現できるだろう。 しかし、どんな情報をどう数値化するかは、とても難しい問題である。 計測器も未発達だったアナログ時代には、すべての情報化は不可能だった。 そのうえ数字になった情報は盗まれることもあるから、秘伝として技術が相伝されていた時代には、情報の数値化は必ずしも歓迎されたわけではない。 産業革命による近代工業の開始は、秘伝を秘伝としてとどめてはおかなかった。 多くの人がきそって自然の解明にのりだした結果、隠されていた自然の法則が次々と明らかになった。 しかも貴族や僧侶に独占されていた知識が、庶民層にも広がりだした。 学校教育が普及したことも手伝って、カンを養うことよりも数字化した情報を共有したほうが、効率がよく便利になってきたのである。 関数電卓の普及により最近ではあまり見かけなくなったが、数表について触れておきたい。 三角関数や対数の数表が、つい最近まで教科書の最後に掲載されていたように、数表は条件にしたがって計算しその結果を一覧表にしたものである。 近代的な観測機器のなかった時代には、大洋を航海するうえでも経験によって培われたカンが必要だった。 しかし、いくら経験をつんだといっても、カンだけでは心許ない。 そこで天体観測から得られた結果を数表に作った。 そして、数表を船の上に用意しておき、船長や航海士は数表に基づいて自船の位置や航行の方向などを計算したのである。 基本的な情報は数字化し得ても、工程の要となる部分は数字化できなかったし、また数字化できたとしてもそれだけで現実を復元することは無理だった。 人間の作った数表にしても、間違いが多かったし、またどの数字が間違いかも判らない。 こうした事情で、焼き物の制作や航海といった複雑な人間行動のうえで、数字を参考にしてはきたが、まだまだ数字を頼りきるわけにはいかなかったのである。 コンピュータの能力が上がるにつれて、数字での制御が人間のカンに匹敵するようになった。 数字に置き換えたデータの蓄積も膨大なものになった。 そして、いまや人間のカンよりもコンピュータの方が、正確な仕事をする分野さえ登場してきた。 たとえば宇宙開発やインターネット、これらはコンピュータなしでは不可能である。 アナログとは、analogue つまり類推することである。 アナログ的カンが連続しているとすれば、数値化された情報は不連続である。 自然は連続しておりアナログ的である。 デジタルは不連続であっても、その精度を上げることによって、デジタルが人間のカンの代打になり得るわけである。 |
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