情報社会と単家族      1998年3月−記

 いま、我が国の経済を支える産業界全体が、激しい変動の波にもまれている。
企業は変貌を強いられている。
そして、家族のあり方も変わりつつある。
ところが長期的な視点で、産業構造や企業の変化と家族を関連つけて考察する例は、少ないように感じるのは筆者の偏見だろうか。

 経済活動が変化の波にさらされると、安定した家庭の役割が見直されると考えるのではなく、家族といえども社会的な存在である以上、経済やそれを支える産業構造の変化と連動している、と考えるほうが自然である。


               農耕社会から工業社会へ
乳幼児死亡率の推移
(出生1、000人につき)
1900年(明治33) 155.0
1910年(明治43)  161.2 
1920年(大正 9) 165.7
1930年(昭和 5) 124.1
1940年(昭和15)  90.0
1950年(昭和25)  60.1
1960年(昭和35)  30.7
1970年(昭和45)  13.1
1980年(昭和55)   7.5
1990年(平成 2)   4.6
1995年(平成 7)    4.3

   狩猟採集の生活から農耕社会へと転じた人類は、定住を始めたと歴史の教科書は教えている。
そこでは自然を相手にして労働が成り立っていたので、単独では生活できず何人かが集まって、田畑を開墾し耕作した。
そのうえ、生産向上に役立つ智恵は豊富な経験から生まれ、長く生きたことがより豊かな智恵を体得させた。
だから、年寄りが大切にされた。
家族が年寄りを抱えることは、力の弱った労働力を差し引いても、裕福になるのには充分に見返りがあった。
そのため人々は、家族が多世代で構成されることを、社会的な正の価値と見なした。
個々の家族の人数には多寡があったが、農耕社会の家族は標準的な理念として、血縁や地縁そして経済的な利害に支えられた大家族を肯定した。

 長かった農耕社会も終盤にいたり、工業社会の暁光が見えてくると、事情はいささか変わりはじめた。
産業革命により個人なる概念が誕生し、神をもおそれぬ科学的な探求心が、より生産力の高い工業社会を生み出した。
工業社会の理念は、長く生きたことから体得した智恵とは、必ずしも一致していなかった。

 ここで年寄りの経験より、個人の知的な活動の方が優位になってきた。
そのため、家族は多世代を内包する指向性を失った。
しかも、農耕社会が肉体労働にその基礎をおいたのと同様に、この時に生まれてきた工場労働は、男性の屈強な肉体を不可欠としており、女性の優美な肉体を必要としてはいなかった。
もちろん貧しい階級にあっては、女性や子供も工場で働きはしたが、工業社会の理念は多くの女性を家庭に置き去りにした。
ここで収入のない女性を、収入のある男性が養い、男性が主・女性が従の核家族が誕生した。


 機械的な動力が存在しなかった農耕社会では、田や畑での労働は言うに及ばず、家事労働もすべて人間の体によってなされた。
そのため、人間の労働力はきわめて貴重だった。
屈強な男性と並んで、非力ながら生産労働を担った女性たちは、囲炉裏辺のカカザが示すように、大家族のなかでそれなりの地位を占めた。
しかし、家事労働の軽減した核家族では、女性は生産労働に従事する場を持てなかったので、子供を生むことを除いて存在意義がなくなった。
工業社会に入って全ての女性が、生産に関わらなかった農耕社会の支配者の女性たちと同じ境遇に転落し、女性の社会的な地位は低下した。

           新たな産業社会=情報社会では    
第一次産業 第二次産業 第三次産業 
 1920年(大正 9)   53.8   20.5   23.7
 1930年(昭和 5)   49.7   20.3   29.8
 1940年(昭和15)   44.3   26.0   29.0
 1950年(昭和25)   48.3   21.9   29.7
 1960年(昭和35)   32.6   29.2   38.2
 1970年(昭和45)   19.3   34.1   46.5
 1980年(昭和55)   10.9   33.6   55.4
 1990年(平成 2)    7.1   33.3   59.0
 1995年(平成 7)    6.1   31.4   61.9
 
コンピューターに後押しされた工業社会の進展は、やがてハイテクと言われる腕力無用の生産形態を生み出した。
そして産業自体が、物的な生産から知識をめぐる生産へと変化し、肉体的な腕力が不要になった。
むしろ繊細で注意深い、精神的な働きが要求され始めた。

 新たな産業社会=情報社会では、男性が女性に優位していた最大の原因である腕力が意味を失う。
女性でも頭脳の働きが優秀であれば、男性以上の働きが可能であることを、産業社会が明示し始めた。
現実には、いまだ工業社会の諸制度が残存し、女性の社会的な生産活動を邪魔している。
しかし、優れた頭脳を死蔵することは、社会的な損害だと経済活動が見なし、より一層の生産活動のために、男女を問わずに優れた頭脳を求めだした。

 情報社会では、性による属性の違いは無化し、個人としての人間が求められる。
肉体的な非力さのゆえに、男性の庇護下に生活せざるを得なかった女性たちが、独力で社会的な生産活動に参入できるようになった。
工業社会の終盤いいかえると情報社会にいたり、男性も女性も単独で生きていけるがゆえに、男女が対をなす社会的な必然性を失った。
対なる男女を、家族として留めていた社会的な必然性がなくなった。
だから、男女の対で構成されていた核家族は、その結合力を喪失するのは当然である。


           子供の現代的な意義
 農耕社会では子供と言えども、身の回りの始末が出来るようになると、それなりの仕事が待っていた。
今日では子供を用役の対象とは見ないが、農耕社会では充分に労働力だった。
今でもアジアの農耕社会を歩くと、子供たちが働く姿をいくらでも見ることが出来る。


 しかし学校ができて以降、子供を労働力とは期待できなくなったし、むしろ出費の対象になった。
また、社会福祉のなかった当時、年老いた両親の老後を見るためにも、子供は不可欠の存在だった。
しかし社会福祉の普及や、高度成長をへて親たちの蓄財が完了したことによって、親たちは老後に子供の支えを期待しなくてもすむようになった。
ここで見事に、子供の存在意義がなくなった。


 工業社会まで、生活のために結婚せざるを得なかった女性は、生活の安定と引き替えに子供を生まされてきた。
情報社会になれば、女性が独力でも生活できるので、生活のために結婚する女性はいない。
必然的に、子供を生む女性は減る。
避妊が普及した今日、女性が気に入った相手の子供しか生まなくなるのは、まったく自然の成り行きである。
子供の存在意義の喪失が、出生率低下の真の理由であり、女性の高等教育や社会進出は、その結果に過ぎない。


 農耕社会や初期の工業社会では、親にとって子供は不可欠だった。
だから、親への反抗が生じないように親孝行を説いたが、子供の生まれる原因は、子供の方にあるのではない。
子供は生まれることを選択できない。
いつの時代でも、子供は親にとって意味があり、親の選択によって子供は生まれる。


 子供にとって親は、養育者として必要であるにとどまる。
子供の現代的な意義はたった一つ、ただ親が愛情を注ぐ対象としてだけである。
情報社会での子供は、純粋に愛情を注ぐ対象であり、親の心の癒し以外には子供の存在理由はない。
情報社会の家族は、生活の必要性を満たすものではなく、血縁や経済的な結びつきを越えて、純粋に愛情を満たすものとなった。

                核家族から「単家族」へ

 
 家族は、親しい者たちの心の交流の場であると同時に、次の時代を担う子供たちを育てる場でもある。
いつの時代でも、子供は男性と女性の間に生まれるが、子供を育てる家族のありかたは、いつも同じではない。
農耕社会では、乳幼児死亡率が高かったことも手伝って、農業生産に適したように、家族は今日にくらべると大人数だった。
農作業が血縁的な結合の強い、大家族という群の生活を要求した。
そして、農耕社会の大家族が核家族に分裂したように、工業社会の核家族も分裂する。
しかし、世代交替の場は家族以外にはあり得ないので、家族が消滅することはない。

 農耕社会が群の生活を、そして、工業社会が対の生活を求めたとすれば、情報社会は個の生活を求めている。
情報社会の生産労働は、個人の精神的な営みであり、男女を問わないとは前述した。
家族のあり方もそれに従う。
つまり、個人を単位とした家族、いいかえると「単家族」へと核家族は変身をとげる。
ヒトの種族保存のメカニズムは不変だから、大家族や核家族の時代と同じように、子供は男女の営みでしか生まれないし、女性しか子供を生むことは出来ない。
しかし、子育ては男性にも出来る。
核家族が分解を許されたことは、生まれた子供の受け皿は核家族ではなく、単家族となることを意味する。

 今日では、年寄り世代と若い世代が同居していても、それを大家族とは呼ばない。
同居している二世帯の収入源は、農耕社会の大家族とちがって、それぞれの世帯で別々だから、二世帯同居とか二世帯住宅と呼ぶ。
単家族も同様である。
二人の成人男女が一緒に生活していても、独立の収入を確保すれば、それはもはや核家族ではない。
それは単家族の二世帯同居である。


              「単家族」が暮らす住宅の特徴

 戦前まで、我が国では農業に就業する労働人口は五〇%を越えており、国民の多くは農業労働者だった。
農業とは自然の掟に従う産業だったから、農民の住まいである農家は、土間や納屋をもった農業生産に適した構造となった。
ところが最近になって、農作業が自宅から離れた作業場へと分離するに従い、建築される農家は農業生産を考えなくても良くなった。
そのため農家の作りも、勤め人の住宅と変わらなくなった。
つまり工業社会の農家は、農業従事者でありながら、農耕社会の農家とは違う作りになってきた。


 工業社会のサラリーマン住宅は、自宅における生産活動がないために、住まうだけの機能さえ満たせればすんだ。
それは工業社会の家族像を反映し、成人男女と二人の子供という核家族を入れる建物となった。
成人男女と二人の子供の家庭を標準世帯と呼び、住宅公団などが提供するモデル世帯として設計されてきた。
しかし、いまや単身世帯がもっとも多く、四人世帯は標準ではなくなった。


 単家族は単身生活者とは限らない。
単身生活者と単家族は、まったく違う概念である。
しかし、単家族の住む部屋そして住宅は、単身生活者の住宅ときわめて似た様相になる。
情報社会の人々つまり単家族は、生活の必要から同居しているのではなく、精神的な繋がりを求めて同居している。
だから単家族の住宅は、個人的な空間が確保されなければならない。
詳論する紙幅はないが、単家族では父性や母性も性に担われることをやめるし、情報社会での教育のあり方も大きく変化せざるを得ない。

               新たな時代への展望
 家族を家族たらしめているものが、普遍的で確たるものと考えられた時代もあった。
文化人類学者たちは、世界中の家族形態を調査し、家族の原型を求めた。
その結果、男女の対が家族を構成する最小単位である、と言われたこともあった。
しかし、本当の話は家族形態はその社会によってあまりにも異なっており、標準的な家族概念は定義できないと言ったほうが正確だった。

 農耕社会→工業社会→情報社会へと産業社会が変わるのに平行して、生産力向上に適応すべく、人々の生活の場が大家族→核家族→単家族と変化することは不可避である。
すべての個人が自立を迫られる情報社会では、誰でもが単家族として生活すると認識すれば、現在進行中の社会変化は整然と理解できるし、新たな時代への展望は自ずと明らかになる。

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