情報社会への移行と生涯学習  1998.8−記

工業社会が生んだ<青春>とその変質

 日々の労働に従事している者には、働かなければ生活の糧が入手できないから、生きることに悩む暇はない。
しかも労働の手応えが、自己の存在を確かなものと感じさせてくれる。
働くことが、当人の存在証明を保証する。
そして逆もまた真であり、労働の場から離れると自己の存在証明を失う。
存在証明を持たない者は、自分の生きる意味を捜す悩みに襲われる。
ごく一部の高等遊民を除いて、農耕社会ではすべての人が、額に汗して働いた。
だから、農耕社会に生きる人々は、生きる意味を探す悩みに襲われずにすんだ。
 学校ができて、そこに通う者は労働から切り離された。
学校を卒業するまでは、将来を担保に労働以外の何をしても許される。
見聞を広めたり友達を作るという理由で、遊んでも良いし、恋愛をしても良い。
もちろん勉強をしても良い。
その代わり学校を卒業したら、まじめに働くこと以外は許されない。
学習を終わった大人が色恋沙汰、放蕩三昧、そうしたことは許されないのが工業社会である。
ここで青春という、労働を猶予された特殊な期間が生まれた。
 学校のない社会なら、労働にいそしんでいる健康な若者が、学校ができたがゆえに、机の前で長い時間を過ごす。
今日の生産労働から離れて、将来の高級な労働力となる訓練を受ける場所、
それが工業社会の教育の場つまり学校である。
農耕社会では働きながら教育されたから、教育期間中であっても労働が当人の存在を支えた。
しかし、労働と教育が切り離された学校では、労働の支えがなくなり、自己存在の基礎が溶融した。
そのため、生きる悩み=青春の苦悩が生まれた。
 青春とは、学校を生み出した近代の工業社会に特有の概念である。
だから、最近になって近代化を始めた若いアジア諸国が、いま青春を謳うのは当然である。
それに対して、工業社会の終盤つまり情報社会を目前にした先進諸国では、
学生時代に学んだ知識はたちまち時代遅れとなった。
時代と共に歩く高級な労働力としてあるためには、誰にとっても一生にわたっての学習、つまり生涯学習が不可避となった。
 情報社会になって知識それ自体が、有償で取り引きされるようになり、学ぶ時代=青春という概念が陳腐化した。
情報社会に入りつつある先進国は、若年の特権として青春を語ることをやめ、終生を青春と見なし始めた。
中高年の恋愛を扱うのも、また当然である。
今や青春を若者の特権と考えることは、まったく時代が見えてない証である。

情報の支配と組織の秩序

 労働に文字が不要だった農耕社会でも、文字を持った部分も存在した。
しかし農耕社会では、頭脳労働よりも肉体労働が支配的だったので、文字で書かれた知識や理屈よりも、身体を使っての行動が重要視された。
そのため、文字は庶民には無用なものとみなされ、社会の上位者が占有するものとなり易かった。
文字で書かれた情報の多くを支配階級が独占し、文字情報の多寡は支配の構造と一致していた、といっても過言ではない。
 農耕社会から工業社会へと転じても、それは変わらなかった。
文字で書かれた情報に限らず、情報は国家や組織の上位者に管理され、組織自体が中央統制的なヒエラルキーを形成した。
情報管理のあり方は、生産単位である企業の組織にも反映され、頂点に位置する1人の社長と部分を担当する部課長、そして多数の平社員という構図を描き出した。
1人の校長と部分を担当する教師たち、そして大勢の児童・生徒で構成される学校も、近代の軍隊とならんで中央統制的な組織だった。

コンピューターの登場

 工業社会も終盤になって、人間の知的な創造活動が、コンピューターという抽象的で論理的な新しい思考形態を生み出した。
コンピューター自体は自由な思考の産物でありながら、最初のシステムは中央統制的な工業社会を象徴して、
中央の大型コンピューターと無数の端末というメインフレームで誕生した。
しかし、メインフレームのシステムは、情報にとって制約の多い形態だった。
けだし抽象的な機械言語で動くコンピューターが、上下関係を内包した工業社会のものではなく、
統制を嫌う情報社会のものだからである。
知への欲求や自由の獲得が、禁断の実を食べた人間の本質的な欲求だとすれば、パーソナルなコンピューターの普及は時間の問題だった。
 今でも伝統芸能の世界で見られるように、
農耕社会では先達をまね、自分の体で繰り返すことが、生きる手段を身につける方法だった。
工業社会では、学校で教えられたことの現実化が、生きるための最適解だった。
しかし、新たな知識は独創によって生まれ、自発性によって支えられる。
だから、情報社会では画一化された既存の発想は効用が減る。
他者が教え得るものは相対的に微少化する。
考える自由を求めて、端末も自立する。

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