少子化試論−人間を対象化する
2005.08

目   次
1.はじめに
2.人口増加の限界と労働力の必要性
3.工業社会と人口増加の始まり
4.人口減少と少子化の顕在化
5.第1次産業の従事者と特殊合計出生率の相関関係
6.最強の人間と観念の自立

3.工業社会と人口増加の始まり
 農業は土地を相手にした労働である。
土地からの収穫量は、多大な労働力を投入しても、その増加量には限界がある。
生産量は無限に増えるわけではない。

 しかし、工場生産は土地という生産の限界をもたない。
そのため、資源と労働力を投入すれば、いくらでも生産量はのびた。
そして、当初は工場生産も労働集約的だったので、多くの労働者つまり人間がたくさん必要だった。
ここで人口が増加する契機が生まれた。

 近代にはいると、どこでも人口は爆発的に増加する。
前近代の人口をグラフに表すと、上のように緩い右上がりであるが、近代に入るとそのグラフが垂直になるほど、急激に人口が増え始めた。
農村部から弾きだされた人々は、きそって都市部へと流入した。
しかし、新たな工場は、人口の伸びほどには素早く普及しなかった。
近代初期は、許容量を超えて人口が増加したので、すさまじ い貧困が各地をおそった。
「オリバー・ツイスト」に描かれるように、それは現在の先進国でも例外ではなかった。

 我が国の明治時代、都市には沢山のスラムがあった。
また現在、近代化の入り口に到達した地域では、厳しい貧困生活におそわれている。
先進国において近代社会はやがて安定し、豊かな経済生活をもたらし始めた。
工業を主な産業とする近代社会は、農業を主な産業とする前近代社会を駆逐し、圧倒的な繁栄を示すに至った。

 1960年代以降、我が国でも貧しさが消えた。
飢餓といった言葉は死語となり、食べ物に対する感謝とか、お百姓さんへ の感謝といった言葉は、忘却の彼方に追いやられている。

 前近代の農耕社会では、労働生産性と人口の増加には、密接かつ限界的な相関関係があった。
近代の工場生産では、労働生産性と人口の多寡には限界的な関係はない。
工場生産を主な産業とする社会では、どんなに人口が増加しても、伸びる生産力が人口の増加を吸収できると考えられた。
人口の増加は、生産力の向上と平行して、いつまでも右肩上がりで上昇するものと見なされてきた。
高度経済成長期には、少子化など誰も想像すらしなかった。

 しかし、それもしばらくの間だった。
工場生産が発展するにつれ、労働力の必要性が下がってきた。
つまりコンピューターが登場するに及び、工場生産は省力化が進み、かつてほど労働力を必要としなくなった。
それだけではない。
前近代では人口つまり労働力に関して、個人と社会の要求が一致していたが、情報社会の工場生産が始まると、個人と社会の要求する労働力がズレ始めてきた。

 農耕社会では家=家庭が生産組織だったから、労働力の確保は個人にとっても絶対的に必要だったし、同時に社会的にも一定の人口は確保される必要があった。
しかし工業社会では、家=家庭は生産組織ではない。
だから、家=家庭の要求と企業の要求は、必ずしも一致しなくなった。
個人にとって家を維持する必要がなくなったし、自分の老後の保障のために、子供をもたなくても生活が可能になった。

 初期の工業社会は、労働集約的だったから、相当数の労働者が必要だった。
そのため、次世代労働力つまり子供の誕生に、農耕社会と同じ論理を適用してきた。
つまり増える労働力は、生産の現場が吸収するという建前は崩さなかった。
しかし、情報社会に入るに及び、個人と社会の亀裂は決定的なまでに拡大し た。

 今や家=家庭は何も生産しない。
生産は工場や企業でおこなわれ、家=家庭は休息や娯楽のための場になった。
そのため、家=家庭は労働力を確保する必要がない。
また、社会福祉が整備されてきたので、成人たちの老後を自分の子供に期待せずにすむようになった。
企業に働きにでさえすれば、生活費は稼げるし、 年金が老後を保障してくれる。
ここで個人としての大人にとって、子供をもつ必要性は完全に消失した。
 
4.人口減少と少子化の顕在化
 明治になると、女性虐待が始まる。
女性は家父長である夫のため、家制度存続のため、そして国のために、子供を産むのが当然とされて、中絶への取り締まりも強化された。
富国強兵政策をすすめたい明治国家にとって、堕胎罪は必要だったと言う。
子供を産まされてきたのが、明治以降の歴史だとある人は言う。

 しかし、こうした強権的な政策が横行したから、人口が増加したのかというと、我が国の人口は戦後になっても増え続けた。
必ずしもそうばかりとは言えない。

明治以降の人口の増加
中央の水平部分は、太平洋戦争の最中である

 敗戦を境に、人口の変化に不自然な動きがあるものの、むしろ人口の増加率は戦後のほうが大きい。
すでに戦後は終わった言われる時代になっても、人口は相変わらず増大していた。
手軽な避妊や安全な人工中絶が普及しても、人口は伸び続けたのである。

 戦前には、路上での行き倒れといった悲惨な例もあったが、人口が増えた現代社会では餓死する人はいなくなった。
そして今、出生率は低下し人口が減少を始め、少子化が問題視され始めた。

 少子化の原因として、女性の高学歴化や職場進出を上げる人もいる。
しかし、これは間違った原因探しである。
どんな人間であっても、20歳頃に子育てを担わされたら、高等教育を受ける暇はないし職場労働などできはしない。

 
高学歴化や職場進出が、出生率を下げているのではない。
出生率が低下した結果、女性は高学歴化したのだし、職場進出できたのである。
出生率は戦後すぐに低下を始めており、女性の高学歴化や職場進出は、出生率が低下した結果にすぎない。

 最近では、少子化の原因として、非婚化や晩婚化があげられる。
人は結婚してから子供をもつので、少子化とは結婚しないことだ、とある論者はいう。
結婚するか否かは、個人的な選択にゆだねられるので、少子化は個人的な選択の結果だというのだろう。
そこで、少子化を克服するためには、個人の意識変革つまり結婚への動機付けを、強く促せば良いという政策が提言される。

 しかし、前述してきたように人口は、産業構造と相関関係をもっている。
産業構造の分析を欠いたままで、個人の意識を問題にしても問題は解決しない。
むしろ、社会的な問題を、個人に押しつけることになり、解決はおろか問題をますます複雑化していく。
ある社会現象が発生したときに、まず問題とされなければならないのは、その社会現象を発生させた社会の構造分析である。

 人々の意識に変化があって、社会変化が起きるのではない。
社会変化があった後、それに適応しようとして、意識が変わっていくのである。
非婚や晩婚化が進んできたのは、結婚の必要性が社会的に薄れたからである。
それでも結婚したいと望む若者が多いのは、意識の変化は社会の変化に遅れるからだ。
非婚・晩婚化がすすむなかで、結婚願望が残っても、それは意識の遅延現象に過ぎない。

 結婚するか否かは個人的な選択であり、社会に適応するように個人的な選択はなされる。
だから、個人の意識を対象にするのではなく、選択の根拠を分析の対象にしなければ、問題の解決には役に立たない。
問われるべきは、なぜ、人は非婚や晩婚を選択するのか。
非婚や晩婚を選択するには、社会的な根拠があるはずである。
その根拠こそ、少子化の原因である。

 本論は、少子化の本当の原因は、子供が不要になったことだと考えている。
現代の産業構造が、各人に子供をもつ必要はない、と無言で信号を発しており、社会全体が子供を不要と見なしている。
農業社会では、土地の生産性を越えて人間が生存できなかったので人間が増えなかったように、情報社会で は次世代の労働力は存在する必要がない、と社会は各人にそっと教えているのだ。

 個々人の意識を越えた力が、子供の存在を不要とさせている。
個人としての成人にとって、労働力でもなく老後の保障でもない子供は、実利的には今や何の存在価値もない。
だから、人々は子供をもたなくなり、女性は子供を産まなくなったのだ。
江戸幕府の堕胎や間引きの禁止令が無益だったように、いくら子育て政策を展開してみても、産業構造を無視した政策は何に役にも立たない。

先に進む