シングルズの住宅

住宅及び居住環境における1人世帯の研究               1994年1月記        目次を参照する

第6章 個化する社会

4.ホテル居住

 わが国ではなじみが薄いが、ホテルは住まいとなり得るのである。
ホテルに住んでいた人物としては、歌手の藤原義江氏や、女優の田中絹代氏などが有名である。
現在でも、ホテルを住処としている人はいる。
映画評論家の淀川長治氏は、お母さんが他界されてからは、一人で東京全日空ホテルに住んでおられた。

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 西欧では、アパートメント・ホテルとか、レジデンシヤル・ホテルなどといった名前で呼ばれるものが長期滞在型のホテルとしてあり、そこを住処にしている人はかなりいる。

 「
ニューヨークのウエストサイド23丁目にある古びた赤レンガのホテル『チェルシーホテル』。<中略>このホテルこそが、巨大都市ニューヨークの文化を1世紀にわたって支え続けてきた作家、芸術家たちの《創造空間》なのであった。マーク・トウェイン、サラ・ベルナール、ユージン・オニール、オー・へンリー、トマス・ウルフ、アーサー・ミラー・・・・・・宿泊者名簿にはこうした20世紀文化の巨匠たちの名前がキラ星の如く立ち並んでいる<中略>1泊30ドルからというこのチェルシーホテルには、現在もなお若いアーティストたちが、ホテルの1室を長期間にわたって、自らの住居=創造空間として利用している」*13

 わが国でも大正時代には、今はなき<菊富士ホテル>*14 には、文士や画家が長期間滞在し、チェルシーホテルと同じような光景がくりひろげられたようである。
それは庶民にはあまり関係のない世界だったようであるが、戦後になると、横浜の<ホテルニューグランド>の318号室に10年間滞在した大佛次郎、三島由起夫が絶賛したお茶の水にある<山の上ホテル>など、ホテルは随分と身近かになった。

 ホテルに住むと、すべて有料だが、たくさんのサービスが提供される。
  
1.食事・お茶・お酒などの飲食
  2.洗濯・クリーニング・靴磨き
  3.掃除・デスクなどの用意
  4.電話・ファクスなどの取り次ぎ
  5.スポーツ施設の利用
  6.会議ができ、秘書の代わりをしてくれる

それ以外にもたくさんある。そのうえ、ホテルは
  
1.掃除の行き届いた清潔な室内
  2.フロントに管理された安全な環境
  3.全館にわたる快適な空調
  4.防音に意を用いた静謹な室内
  5.駅や繁華街の近くの便利な立地
  6.個室のためプライバシーが保てる

などの利点がある。

 わが国では、ホテルは旅館の同類だと考えられている。
そのため、あくまで臨時の宿泊施設で、観光や旅行など何か特別の用事の時に泊まるものだと見なされている。
ふつうの人には、ホテルに住むという発想にはなじみがない。
日本のホテルは宿泊代が高いので、ホテルに住むのはよほどの高額所得者以外には不可能である。
1泊20,000円としても、30日では60万円になって、ふつうの勤労者には非現実的な話である。
しかし、これがチェルシーホテルのように1泊30ドル、つまり3,000円〜5,000円であれば、話は違ってくるであろう。
水道・光熱費やさまざまなサービスがふくまれて、1カ月に90,000円〜150,00円くらいの居住費であれば、ふつうの勤労者にも不可能な金額ではない。

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 「一つの家で一生を暮らす“定住時代”はもう終わりを告げようとしている。これからの都市生活者には・・・“移住人間”がますます増えてくる」*15

 今まで、私たちはその場所に定住することをもって、よしとしてこなかっただろうか。
住宅にたいする多くの調査などを見ても、その住宅に長く住むつもりか、という質問をよく見かける。
そして、<はい>という答が多いと、その住宅はよい住宅であると見なす傾向が強いように感じる。
しかし、都市に住むということは、定住するということが不可欠な要因なのだろうか。
むしろ、1つの場所に一生にわたって住み続けるのではなく、そこに住むことが魅力であるような場所、そしてそれが常に変化し、成長する場所、それが都市なのではないだろうか。
自由に動く人間がそれぞれの関心にしたがって、さまざまに居住できる環境こそ都市ではないか。
そう考えるとき、ホテルは多くのことを教えてくれる。

 集まって住むというと、集まった人々のあいだでの交流を想像しがちだが、それも大切ではあろう。
しかし、それ以上に集まった人々が、少しづつ労力や費用を負担することによって、集まった人たちの外部にたいして働きかける力となることこそ、集まって住むことの利点ではないだろうか。
たとえば、集まった人々が、少しずつお金を出し合うことによって、管理人を雇ったり、外部に対して強い発言権を確保したり、さまざまなサービスを入手することができる、といったことこそ集まって住むことの最大の恩恵であろう。
こうしたことは都市でしか成り立たないことである。
一世帯で女中が雇えない今日、それに代わるサービスを集まった人々の少しづっの負担によって実現できるのは、都市をおいてlまかにはない。
しかも、それが近隣の長い付き合いによって形成される、人間関係の貸し借りによってではなく、システムとしての都市が固有にもつ便利さ、これが都市に住む利点ではないだろうか。

 障害者や老人にたいするデイケアーサービスにしても、人口密集地の都市だから可能なのである。
各人が離ればなれで住んでいれば、それぞれを廻るだけで大仕事である。
そのうえ人口密度が低いところでは、サービスを提供する側の人間が、存在しないかも知れないのである。
ちなみに、大田区の家事援助サービスは有料である。
1時間¥600払えば、老人は話し相手、掃除、食事の準備、買い物等のサービスを受けられる。
そう考えるとき、人口密度の高い都市でのみなりたつホテル居住こそ、都市居住の原点であると思えるのである。

ロイヤルパークホテル日航のロイヤルスィート   玄関下の斜線分を厨房に

 「ある1室は実に42年間にわたって1人の老作曲家によって住居として活用されている。数年前、ホテル側が古くなった壁を新しく塗り直そうとしたとき、その老作曲家はショットガンをかまえて戸口に立ち、内部に1本の指も触れさせなかった・・」*16

という逸話からも判るように、長年住んだ所は、たとえホテルと言えども、自分の住処となるのである。

 ホテルをファミリー住宅に重ね合わせてみると、私に相当する部分が各客室であることに気づく。
それぞれの客室を、シングルと考えるか、ダブルズやトリプルズと考えるかで、私の中身がワンルームマンションやファミリー住宅へと変わってくるにすぎない。
スイートルームに専用の厨房が設置されれば、それはファミリー住宅となんら変わりはない。
そして、ホテルには客室でもなく外部でもない室内空間がある。
それは、本研究で名づけた界に他ならないであろう。
客室=私と界の関係性こそ、住宅の形として明確にされなければならない。

 ホテルは、居住環境を提供するいわばプロである。
1泊か2泊するだけの仮の宿としてではなく、居住対象としてホテルを見るとき、ホテルはこれからの住宅に何が必要なのかを敢えてくれる。
ホテルの提供するサービスを組み込んだ住宅こそ、今後求められていくのではないだろうか。


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