シングルズの住宅

住宅及び居住環境における1人世帯の研究               1994年1月記        目次を参照する

第6章 個化する社会

1.近代家族の解体

 太平洋戦争以前は、日本人の50%以上が農業に従事していた。
農業は土地のうえに成り立つ産業だったので、そこに生活する人間は、土地に縛られていた。
それゆえ、家族を離れて一人で生活することが困難であった。
ところが、第2次産業の発達とともに、農業に専従する人間の数は減り続け、今や数パーセントになってしまった。
このあいだには、いわゆる核家族化が進み、家族構成員の平均数が 3人を切ったことは、第2章で述べたとおりであるが、筆者は家族がこのままの形で生き延びるのか、いささか疑問に思っているのである。

 家族は、工業化社会にはいってから、核家族化したといわれる。*1
核家族の構成員は、言うまでもなく一人の男と一人の女、それとそのあいだに生まれた子供たちであった。
ところで近代核家族の構成員である男女には、それぞれに役割分担があったことも承認されるだろう。
つまり、男性が家庭の外で働くことによって給料を稼ぎ、女性は子育てなどいわゆる家事なるものを担当したのである。
しかし、これは歴史貫通的に、いつでも役割分担していたのではない。*2

 最近になって、家庭の外での労働が肉体労働から離れ、頭脳労働にその重心を移してきた。
それにつれて、職菜としての労働は肉体的な強者である男だけの専売特許ではなくなってきた。*3
非力な女性も社会的な労働ができることが明らかになって、女性の社会進出が進んできた。
それは逆説的に言うと、女性の核家族的な男女の役割分担からの逃亡である。
それまでの独身女性は、戦争未亡人などと呼ばれる日影者であったが、今や女性は独身でも生活ができ、女性の自立が公認される時代になってきた。*4 

 本研究は、女性の台頭を論ずることが目的ではないので論証は省略するが、誰にでも職業的な労働することが可能になったことによって、女性は一人で生活することが可能になったのである。
経済力がない人間は生活できないのは自明である。
定年退職後の男性の悲劇=家事無能力が、マスコミを賑わすことがあるが、確認しなければならないのは、収入のない人間は男性・女性に限らず、誰でも自活できないことである。
経済力のある男性は、以前から一人で生活可能だったことは、先例がいくつも示す通りである。*5

 社会との接触点は、男と女の対を単位とする世帯だけではなくなった。
女性の台頭によって、これからは個人がそのまま、社会と関係を結べるようになったのである。

山本理顕「住居論」(P93)より

…山本理顕氏は、社会、家族、個人の関係を『個人が直接社会と向き合い、家族は個人の背後にある』と分析する。もはや、父、母、子供という家族関係を社会の構成単位として考える時代ではなく、家族のそれぞれが『社会的な個人』として社会と直接接続している状況になってきたというのだ。」*6 

 そして、次のような住宅を設計している。
これは、あきらかに今までの住宅設計の手法とは異なったものである。

いまや『個人という住宅単位をベースに、社会−個人−家族といった空間の配列を行ったプランが』求められている。つまり、個人を主体としたうえで、一緒に住まうことの意義を個々にはっきりと認識させる」*7

 現状はシングルズの増殖だけではない。
家族それ自体のありようすら、大きく変化しているのである。
家族は常に複数で構成され、しかもその中心は対なる男女であり、家族をとおして個々の人間は社会と接触するという認識は、急速に薪れている。 
シングルズだから生活できないというわけがない。
今まで社会の前面に登場しなかったが、事実は個人として生活力のある人々は、シングルズの生活をしていたのである。


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