シングルズの住宅

住宅及び居住環境における1人世帯の研究               1994年1月記        目次を参照する

第5章 シングルズと公的サービス

2.受ける公的サービス   その1

 公的なサービスとして、まず思い付くのは、道路、下水道、学校教育、福祉、医療などである。
 道路は誰でも通るが、もちろん自然発生的にできたわけではなく、税金で建設されたものである。
そこを通行する権利は、誰にでもある。
税金を払ってない人も、たとえば外国人でも、道路を通る。
働くシングルズは必ず担税者であるのにたいして、複数の家族の構成員は必ずしもそうではない。
下水道にしてもしかりである。
小・中学校などの公的な学校教育のサービスは、シングルズにはまったく関係ない。

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 家族のいないシングルズは、福祉や医療にかんしては、おおいに関心がある。
伝統的な家族にあっては、家がその構成員の福祉を担ってきたが、核家族化するにしたがって、家の福祉施設としての機能はうすれてきた。
「よわい女、よわった年寄り、いとけない子供を守るのはイエです。・・・・・・家族と使用人のめんどうをみるのがイエです。_l*2
イエの崩壊どころか、核家族も作らないシングルズにとっては、寄るべきものは誰もいない。
自らの身体は、100%自分で維持管理していかなければならない。
そのため、家族もち以上に、福祉や医療体制には神経質にならざらるを得ない。

 シングルズが身体を壊しても、誰も看病してはくれない。
家の中で事故に会い大怪我をしても、救急車を呼ぶのは怪我をしている本人以外にはいない。
失業すれば収入の途絶は、誰にも同じようにおきることだとしても、看病は病身である自分でしなければならないのがシングルズである。
今までシングルズにこうした問題が目だたないのは、シングルズの歴史が浅いので、シングルズが病に倒れたとき、別居しているお母さんや身内が躯けつけて、援助してくれたりしているからだけである。
若・中年のうちは、比較的健康に恵まれることが多いので、悲劇的な状況になることが少ないだけである。
もし、まったく身寄りのないシングルズが、病に倒れ入院したときのことを想像すると、どのような事態になるか絶望的な心境になることは、筆者だけではあるまい。*3

 北欧のスウェーデンは社会福祉の先進国であることは、よく知られている。
そのスウェーデンでは、公的な福祉施設の整備は終わり、次は在宅看護の時代になったといっている。
それは、福祉を受ける人から、日常生活を奪わない配慮のためだというのである。
それと時期を同じくして、わが国の福祉もこれからは在宅看護の時代だと巷間では言われているが、施設を整備しないでの在宅看護とは、シングルズには悪い冗談としか聞こえないのである。

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 まったく身寄りのないシングルズが、入院せぎるを得ない状況になったら、いったいどういう状況が現出するのであろうか。
各自治体によって抜いは多少違うし、勤務先によって事情はおおいに違う。
複数家族を前提にした世帯単位の福祉政策であるがゆえに、いずれにしてもシングルズにとってはお寒い限りである。
そのため、公的な制度はあてにできず、民間の年金保険をたくさん掛けてシングルズは、自らの生活を防衛せぎるを得ないのである。

年金型の保険がはやる裏側には、当然、私たちの公的年金に対する不信感がある。独身OLの平均年収は約270万円。そんな中から毎月の保険料を捻出するのは正直、大変なことだと思うが、それはど不信感も強いのだろう」*4

 家族がある人びとも状況は同じなのであるが、シングルズには家族がいないがゆえに状況がはっきりと見えてしまうのである。
シングルズは過酷な高負担に耐えながら、少ない公的サービスにも不平を言わず生活しているのである。

3.受ける公的サービス   その2

 ゴミの間凛が話題になったが、シングルズがだすゴミと複数の家族がだすゴミはどちらが多いだろうか。
それは論を待たないであろう。
また、ゴミをだす時間を守らない、ゴミの分別をしないという非難も、シングルズかどうかとは関係ない。
筆者の住んでいる川崎市は、可燃・不燃に分別しなくてもよく、しかもゴミは毎日収集される。
すると、隣接している他の自治体に住む人たちが、市の墳を越えて川崎市までゴミを捨てに来るのである。
ゴミの収集日の限られている自治体では、たしかにシングルズには決められた日時に出し難いように感じる。
しかし、共稼ぎの世帯では事情は変わらない。
いや、共稼ぎの世帯が子育ての最中であったら、ゴミだしの日時を守ることの困難さは、シングルズの比ではあるまい。

府中市のゴミ容器
川崎市のゴミ集積所

 ゴミだしの時間を守れというのは、ゴミを長時間だしておくと、猶や烏がつついて散らかるというのであろう。
それゆえに収集直前に出せというわけであろうが、ここでは明らかに問題のすり替えがある。
今のゴミ収集のシステムは、何も手だてがなされてないから、そうした問題が起きるのである。
ゴミをポリバケツに入れて出すのではなく、ポリ袋にいれてきちんと密封してだすこと。
そして、道路の一角にゴミ集積所をつくり、たとえば府中市のようなゴミ容器を用意すれば、すむことではないだろうか。
そうすれば、ゴミはいつ出してもかまわなくなる。

 それ以外にも、シングルズにとって不利な公的なサービスはたくさんある。
たとえば、区役所や市役所の窓口業務は、午前9時から午後5時までのところが多い。
働いているシングルズが、この時間に役所に行くことは可能だろうか。
仕事をしている人間には、休暇をとらなければ役所に行けないのは当然である。

 窓口業務の時間延長は、公務員の増加や労働時間延長につながり不可能だとしても、戸籍の請求は郵便でも受け付けているのだから、窓口業務のかなりの部分を郵便やFAXxによる受取に代替することは可能なはずである。
また、最近役所がさまぎまなカルチャースクールを催すが、それらの多くは日中に開催される。
つまり、働いてない人間を対象にしているとしか思えない時間帯に、開催が設定されているのである。
シングルズには高負担を担わせておきながら、シングルズが利用することが困難なサービス体制を維持することは、シングルズにたいする差別以外の何物でもない。*5
 銀行などの民間金融機関は、キャッシュディスペンサーなどの棲械を導入して、最低限の業務は確保したうえで土曜休日を実施した。
しかし、官公庁はなんらそうした手だてを講ずることなく、土曜日を休業にしてしまったのである。
郵便局にしても同様である。
土曜休業にさいして、切手の自動販売機などの機械を設置することなく、土曜休業の看板を出しただけである。
いったい彼らには、公僕としての自覚があるのだろうか。
社会状況の変化に応じて、公僕としての義務を果たすことこそ、税金で養われている彼らの青務ではないだろうか。


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