第4章 ワンルーム・マンション
6.学園都市:八王子のワンルームマンション
ワンルーム・マンションの普及のうえで、もうひとつ指摘しなければならないことは、大学の郊外移転である。
とりわけ首都圏の大学は、1960年代から今日にかけて、都心から郊外へと大挙して移転した。
たとえば八王子市だけでも、1963年から今日までに21大学(1高専をふくむ)が移転し、そこに学ぶ学生数は10万人を越えたのである。
これが学生の住宅事情に、大きな変化を与えたことは、簡単に予想できるであろう。
それまで何もなかったところへ大学が移転したのだから、学生むきの住まいがなかったのは当然である。
寮などが用意された例もあるが、大部分は民間の賃貸借家がそれに対応したのである。
もちろんその多くは、ワンルーム・マンションだったのである。
建築確認の統計は廃棄されているので、実際に建てられた戸数は不明であるが、幸運なことに開発許可申請の事前相談にあがった件数が残っていた。
(事前相談の件数なので、完成件数ではない)
それによると、単身者用および学生用として上がった戸数は、次のグラフのようになっている。
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| 1986年と1989年は棟数から類推した 八王子市の資料から |
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当初、共同住宅と学生向けそして単身者用と分けられていた統計が、1987年以降、ファミリー・マンションとワンルーム・マンション、それにファミリー+ワンルーム・マンションというように変わったので、単身者用の戸数は少なく表れるようになった。
それをファミリー+ワンルーム・マンションのうち半分がワンルーム・マンションだとして修正すると、下のグラフのようになる。
ちなみに事前相談があった累計戸数は、27、863戸だった。
大学が郊外の安い土地に注目したのと同様に、その学生の住まいも郊外の安い土地の恩恵をうけたのである。
けだし、郊外ではそれまで更地であったところに、アパートを建築したため、土地の占める費用が都心に比べるとけた違いに安かった。
10平方メートル前後であった木賃アパートの住室にたいして、16〜20平方メートルの占有面積をもったアパートを作っても、家賃は都内の木賃アパートと、それほど変わらなかった。
また都心での建て替えには、すでにある木賃アパートを撤去して、換言すれば誰かが住んでいるの追い出して、建築せざるをえない。
そうした背景で、都内のワンルーム・マンションは、時として学生には家賃が高すぎた。
そのため学生にとって、ワンルーム・マンションの恩恵は、むしろ郊外や首都圏以外で受けたのである。
最近の学生は贅沢だと言われるが、贅沢にも設備が各住戸に専用になった背景は、単にそれだけではない。
大学の移転にともなって、設備=銭湯は移転しなかった。
そのため郊外に新しく立地するワンルーム・マンションの周辺には、都内ならどこにでもある銭湯がなかった。
そのためこうした地域では、設備を専用にせざるを得なかったのである。
もし、大学が今までどおりに都内にあったら、学生の住まいもそうは変わらなかったであろう。
郊外で、ワンルーム・マンションの便利さ、快適さを知ってしまった学生は、卒業後に都心に戻っても、もはや木賃アパートには戻らなくなったのは自然の成りゆきであろう。
単身者用住宅=ワンルーム・マンションは、累計にすると3万戸近く建築されているのであるから、もちろんワンルーム・マンションに住んだ学生だけではなく、自宅からの通学生にとってもワンルーム・マンションは身近であったろう。
そうした人間にとって、木賃アパートを指向する必然生がなくなったのは肯首できる。
なぜなら、郊外には木賃アパートは存在しなかったので、学生は木賃アパートの世界を経験できなかった。
経験しないものは自分が住む対象として、想像のうちに入らないのである。
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