第4章 ワンルーム・マンション
4.朝日新聞に掲載されたワンルームマンション
各自治体を面接調査にまわっていて、担当者から当時マスコミで叩かれたという話が何回かでた。
そこで、マスコミにワンルーム・マンションがどのくらい登場したか、朝日新聞をさかのぼって調べてみた。
これは、ワンルーム・マンションにかんする、肯定否定両方の記事を拾ったものである。
1983年3月1日 建築ラッシュ ミニマンション、 ワンルーム借り5万売買は1千万 規制かわし低層化 日照に泣く住民も
1983年5月5日 1室マンション静かなブーム 都心に住める・小なりとも家主 住宅公団も新宿に初めて分譲
1983年8月12日 ワンルーム・マンション 反対派が結束 「同盟」旗揚げ 27日に決起集会 業者・当局と交渉
1983年9月17日 ワンルーム・リース・マンション反対決起集会 横暴もう許せない 建設中止求め裁判闘争も
1983年9月28日 増えるワンルーム・マンション紛争 「生活ルール乱す」周辺住民、いらだちの声
1983年10月6日 ワンルーム・マンション 業者姿勢を転換へ 環境を守る会 幅広く運動展開
1984年1月23日 ワンルーム・マンション 規制へ指導指針 豊島区「未然に紛争防止」(参考:豊島区における、前年までのワンルーム・マンション建築数は49棟)
1984年1月26日 目黒と世田谷区 ワンルーム・マンション規制 指導要綱つくる (参考:目黒区における、前年までのワンルーム・マンション建築数は76棟。世田谷区は144棟)
1984年1月29日 若者の事情も考えて ワンルーム・マンション初の規制反対陳情
1984年8月9日 1室マンション大受け ホテル・社宅代わり 500戸一括発注の企業も
1984年8月15日 ワンルーム・マンション建築 北区も指導要綱 (参考:北区における、前年までのワンルーム・マンション建築数は1棟)
1984年8月31日 ワンルーム・マンション 抗議行動中に業者が地鎮祭 港区白金台
1985年2月22日 協定に応じぬ1室マンション 住民が仮処分申請 世田谷建築工事の禁止求め
1985年3月21日 住民が寄り切る 荒川のワンルーム・マンション 業者が計画白紙に
1985年7月31日 家族向きマンションはOK ワンルーム紛争の旧千住製紙跡地 千戸計画、地元住民は好感
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ワンルーム・マンションへの関心が高くなっていたことを思わせるコラムが、「今様方丈記 ワンルームマンション」と題して、1984年2月21日から7回にわたって連載されている。
今まで、ワンルーム・マンション建築反対の地域住民や行政の動きを述べてきたが、肝心の入居者については資料が見つからなかった。
そのため、「得体のしれない入居者」といわれても、疑問符をかざすだけだったが、この連載には入居者たちの生態が述べられているので、抜粋してみる。
1984年2月21日 自立の城:
東横線学芸大学駅から5分、RC5F、32戸、21才の航空会社整備マンが住む。14平方メートルだが、ユニットバス・トイレ・キチンを除くと6畳間ほど。家賃管理費で¥65,000、給料の半分が消える。
3年あまり会社の寮にいた。寮費はただ同然。30歳を過ぎても寮を出ず、結婚資金をためている先輩もいた。だが「何もかもつつぬけの感じ」がどうにも耐えられなくなった。一人で落ちつける場所が欲しかった。「自立には一人暮らしが必要だと思った」
隣の部屋に住んでいる人と付き合いはない。部屋に灯りがついているときは、ステレオのボリュームを落とす。暗ければ好きな音量で楽しむ。「文句が出たことはないですよ」非常ベルの誤報時、5人が顔を合わせたが、誰も知らなかった。
都会で、若者がせいぜい4.5畳とか6畳の「方丈空間」にしか住めないのは、今も昔も変わりはない。ただそれが、今はコンクリートで囲われつつある。
1984年2月22日 即日完売:文京区、RC5F、19戸、図面のうちに完売。
1972.3年頃にも、ワンルームが次々と建てられたが、オイルショックですぐ下火になった。
住宅・都市整備公団はワンルーム型の賃貸住宅を17,000戸だしているが、常時満杯。空き募集には3桁の倍率が普通で、時には2千倍にもなる。
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1984年2月23日 仕掛け人:
ワンルーム・マンション業界最大手の「マルコー」の金沢正二社長。ブームの仕掛人。アパートを求める若者の変化に気づいた。「洋室がいい」「バス付きはない」「音がもれないところを」 金はない。「ひと部屋ずつ、所有者をつれてくればいい」
5階建27戸の第1号はすべて畳部屋だったが、1室600万円、家賃40,000円だった。
1984年2月24日 地名志向:
「もっとイメージのいい街に住みたかった」目白駅から5分。
大学から紹介された下宿は親切だった。賄い、光熱費こみで、31,000円が、66,000円になった。
門限がないのが嬉しい。友達がよく来たり、泊まっていくようになった。仕送りを増やしてもらったが、下宿の時より小づかいが減った。
1984年2月26日 宅配便:
馬込駅から10分、15平方メートル,OL28才。以前は浅草の賃貸マンションにいたが、柄の悪い管理人がいやだった。春秋の衣替えに、衣類を宅急便で実家に送る。同じフロアに、自分で入居を薦めた大学生の弟がいる。隣ではプライバシーがなくなるから、一つとんだ部屋が弟の部屋である。
1984年2月28日 下北沢:全戸調査
下北沢駅から5分、5F、36戸。男21人、女15人。学生12人、サラリーマン9人、OL4人、デザイナー、編集者、テレビ製作関係各2人、モデル、美容師、イラストレーター、ハウスマヌカン、レコード製作者各1人。10代8人、20代前半17人、20代後半9人、30代2人。
ワンルーム・マンションの住みよさと便利さに満足する一方で、いくぶん暮らしを切りつめる姿が、彼らをとおして浮かんでくる。
1984年3月 1日 低空飛行:ワンルームマンションの魅力の一つは「防音性」である。部屋が狭いので、背の低い家具しか置かない。
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ゴミ置き場には、燃えるゴミにときおりジュースの空き缶や空きビンが混じることがある。
風郊をひいた娘を見舞いに来た母親が「私だったらこんな狭いとこ住まない。若い者の心境が判りません」といった。
1977年から調べたが、ワンルームマンションに関して、朝日新開に掲載された記事はこれだけである。
しかし、それに関連した記事はもう少しあった。
いささかニュワンスが違う記事なのだが、念のために記しておく。
1984年2月4日
ワンルームマンション 住民の反対資料業者にツツ抜け 軽率品川区の職員。他区の分まで あわてて回収・陳謝に走る
1985年5月26日
料理・掃除も引き受けます 単身赴任者に専用マンション
1985年11月28日
高い家常が高齢にムチ 職求めるl人暮らし女性 都の紹介所謂べ 年金の大半消える 公営にも入れず転々
新聞でみるかぎり、ワンルーム・マンション建築反対派の人たちには、単身者の住宅にたいする理解はほとんどない、と言ってよい。
ワンルーム・マンションの建築によって日影になるという反対理由も、木造2階建てであっても隣地境界ぎりぎりに建て、隣地への日照を遮ってしまうことの多い昨今、説得力にかけるのである。
ゴミの焼却場建設をめぐって杉並区で反対運動が起きたが、あの時の反対運動と、きわめてよく似た住民エゴを感じるのは筆者だけだろうか。
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