シングルズの住宅

住宅及び居住環境における1人世帯の研究               1994年1月記        目次を参照する

第4章  ワンルーム・マンション

1.木賃アパートからワンルーム・マンションへ   その2

調査により作成

 本研究では、各自治体の定めたワンルーム・マンション建築の指導要網に準じて、ワンルーム・マンションとは、つぎのように定義する。

 「
台所(湯沸室を含む)、便所及び浴室(シャワー室を含む)を設けた、専用面積が(ベランダ、バルコニー、メーターボックス及びパイプスペースを除く)が25平方メートル未満の住戸または住室をもつ集合住宅」*4
とする。
具体的には、風呂、便所、浴室を一体化したユニットバスをもつ、下図のような間取りである。
ワンルームというとおり、居室が一部屋しかないのが特徴である。
それにたいして、2DKや3DKのように二部屋以上の居室をもつものをファミリー・マンションと称する。

 ファミリー・マンションと呼ばれる共同住宅は、購入者が自ら居住するためにあった。
居住者は入居後、区分所有法にもとづいて自らの所有分を登記した。
そして、居住者たちが管理組合をつくって、自らで自分たちの住んでいる建物を管理してきた。
管理組合が、管理業務を委託に出すケースが多いが、それでも、居住者たちは自らの財産として自分たちのマンションを維持管理した。
何らかの事情で購入者本人が住んでいなくても、その居住者と購入者はいわゆる関係のある人々であった。
そのため、マンションは1棟の建物として近隣地域から認知された。
これはいわゆる団地なるものからの歴史があって、共同住宅の住み方はそれなりに、社会的な合意ができてきていた。
もちろん、マンションとても何の摩擦もなく、社会的に認知されたわけではない。
マンションが頻繁に建築されはじめた1970年頃は、日照や高密度居住によって発生する問題をめぐって、近隣住民との紛争が絶えなかった。
また、マンションそれ自体も欠陥建築として係争の対象となるなど、しきりとマスコミを賑わした。
しかし、当初ファミリー・マンションの住民は自らが購入者でもあって、自身がそこに定住したので、徐々に地域になじみマンションはだんだんと市民権を得ていった。

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 1980年頃から自分が住むためではなく、マンションを投資の対象とした建築が建てはじめられてきた。
これらは、複数の居住者を想定したものではなく、一人が住むことを前提としていた。
それは一部屋とユニットバスから成り立っていたので、ワンルーム・マンションと呼ばれたのであるが、所有の形態が今までのマンションと大きく異なっていた。
今までのマンションは、まがりなりにも購入者が住むことが前提で建築されたが、ワンルーム。マンションはそうではなかったのである。
同じ建築物でありながら、ワンルーム・マンションはそれまでのマンションとは、決定的に異なっていた。

 土地は必ず値上がりするという神話にもとづいて、土地の買い占めなどが横行していたが、土地に付随したファミリー・マンションも、購入してからも値上がりし続けた。
ファミリー・マンションを利殖のために購入する人びともいたが、ファミリーマンションは価格も高く、利殖を目的としてだけで、そう簡単に誰にでも買えるものではなかった。
誰にでも買えるマンション、そこに目をつけたマンションの販売者が、買いやすい価格でのマンションを考えたのである。
1戸の床面積が15〜20平方メートルの、かろうじて部屋と呼べる代物であつたが、おおよそ1千万円前後のそれは、普通のサラリーマンにも手が出せる物件であった。

 1980年ころからバルブの最盛期にかけて、利殖の対象としてワンルーム・マンションはさかんに建築された。
ワンルーム・マンションを専門に建築する会社まで設立されさえした。
この時代、いままで投資には縁のなかった普通のサラリーマンまでが利殖にはしった。
そこで提供されたのが、手ごろな価格に設定されたワンルーム・マンションであった。
こうしたワンルーム・マンシヨンは賃貸ではなく分譲であった。
これは、別名ワンルーム・リース・マンションとも呼ばれた。

 ワンルーム・リース・マンションは、購入した本人が住むのではない。
購入後ただちに賃貸に出され、家賃収入を購入資金の返済に当てながら、将来の値上がりを待つのである。
そのため、入居者による管理組合も作られることはなかった。
ワンルーム・リース・マンションは、住宅本来の目的である住むために作られたのではなく、利殖を目的として建築されたので、さまぎまな問題をはらんでいた。
まず、利殖が目的なので、建築にあたって極限まで経済性が追及された。
きわめて狭い部屋、最低限の天井高など、いかにたくさんの戸数を確保するかに、建築者や販売者の関心が向いて、限られた敷地から最大の利潤を上げることに腐心された。
そのため、共用部分への配慮が欠けるなど、住む人のことを考えて設計されなかった。
何しろお金を出した本人が住むのではないので、建築的な検討は十分になされなくても、許されてしまったのである。

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 またそれは管理体制の脆弱さとしても指鏑できる。
住戸単位で分譲されたので、各住戸がすべて異なった所有者で、しかも、所有者はそのワンルーム・マンションから離れたところに住んでいた。
それゆえに、貸し主と借り主の人間関係がきわめて希薄であった。
また、それを仲介する不動産業者も、当該マンションに常駐しているわけではないので、ほとんど管理らしい管理体制はない状態であった。
そのため、近隣住民からクレームが発生しやすかった。

   1.深夜に大きな騒音をだす
   2.ゴミを出す時間を守らない
   3.ワンルームマンション周辺の違法駐車


以上の三点が代表的なものであった。
 たしかに1人の所有者による1棟全体が賃貸住宅となるものと異なり、分譲住宅は1度販売されてしまうと、その住戸にだれがどう住むかは判らない。
賃貸の場合は、長期にわたって入居者を確保しなければ、貸家業が成り立たないので、古くなっても入居者に魅力を感じさせなければならない。
また、近隣からの入居者へのクレームは、直接的には大家に向かうことが多いので、大家による入居者への管理がなされる。
そのため、建築としての質は最低限確保される。
それにたいして、利殖を目的としたワンルームリースマンションは、建築でありながら投機の対象と考えられたので、良好な住環境などという発想とは無縁の代物であった。
マンションという同じ建築でありながら、ワンルーム・リース・マンションは、人が住むための住宅とは似て非なるものであった。

 「
都心の中の都心、千代田、中央、港の3区に最近建った民間マンションがどう使われているかを調べていた国土庁は12日、その結果をまとめた。それによると、住居として使われているのは64%、それも1人暮らしが半分で、親子の家族が住んでいるのは全体の3割弱しかないことがわかった」*4 

 共稼ぎ家庭の増加などによって、日中には誰もいない家が増えていたのだが、それはなかなか目だった現象とはならなかった。
一人しか住んでいないワンルームマンションは、本人が外出すれば、必然的に留守になるので、特異な目でみられた。

 ワンルーム・リース・マンションの建築にともなう近隣住民との紛争が多発してきたので、各自治体はワンルーム・マンション建築の指導要綱を策定してその規制にのりだした。
ここでは、建築されるワンルーム・マンションが分譲か賃貸かには触れず、ワンルームという形態だけを規制の対象とした。
まず、ワンルーム・マンション建築の指導要綱が策定されていった年代を見てみよう。
(首都圏の自治体に限る)

1984年 港、文京、江東、品川、目黒、世田谷、渋谷、杉並、北
1985年 板橋、練馬、中野(1991年に廃止)町田
1986年 千代田、台東
1987年 川口、川崎
1988年 千葉
1989年 狛江

 と、簡単に述べてきたが、この流れでの理解が、ワンルーム・マンションにたいする平均的なものである。
ワンルーム・マンションは地域から歓迎されないものだと、何気なく読み過ごしてしまいそうであるが、これではワンルーム・マンションの正確な実態は判らない。
シングルズを対象とした本研究を進めるにしたがって、ワンルーム・マンションをめぐる問題には、むしろ興味本意な印象によって語られた部分が多いことが判明してきた。
そして、第3章でも述べたところであるが、ここでもワンルーム・マンションに住むであろうシングルズにたいする偏見、そして、それからくるシングルズにたいする差別意識を感じるのである。
そこで、ワンルーム・マンションが引き起こした騒動を見ながら、シングルズがどのように見なされているかを、検討していこう。


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