河畔望論

映画評 「しあわせな孤独」 論者 むさしのちえこ

 お勧めにしたがって「しあわせな孤独」を観てきました。はい、星二つ、いいえ、星三つの映画かもしれませんね。登場人物の心理が非常によく表現されていて、とても完成度の高い映画でした。途中で飽きることもなくスクリーンの話に入り込めました。

 どの登場人物に感情移入してみてもストーリの展開上、かれらの行動や心理は現実にありえるリアクションであり、違和感がまったくありませんでした。4人4様、(5人?)の弱さ、ずるさ、みっともなさ、だらしなさ、そして取り乱した後に漸く冷静に自分自身・理性を取り戻すそのプロセスが非常に良く表現されていて見事でした。

 たとえば加害者である医師の妻:交通事故の加害者でありながら事故は避けられなかったと責任転嫁するずるさ。事故を起こした日がたまたま一人娘の誕生日だったからといって、中止もせずに予定通りパーティを催す無神経さ。被害者の恋人に謝罪しフォローする役目を夫に押し付け、その結果それが夫の浮気(本気?)のトリガーとなってしまったことをうすうす感づきながらも、気がつかないふりをする弱さ、医師の妻の深層心理がよく出ていました。且つ家を出て行こうとする夫に泣いてすがるみっともなさを見て経済力のない専業主婦ならこんな光景になってしまうのだろうと納得して観ていました。

 私は匠さんのようにフェミニズムを論じる立場で映画を観たわけではないのですが、4名がそれぞれフラットな立場であるはずなのに、専業主婦だけが経済力がないがゆえに家を出てゆこうとする夫を泣いて引き止めたことは、作者(監督)がそこに意味をもたせようとしたのだと感じました。不慮の事故で突然不自由な寝たきりの身体になってしまった彼ですら、最初は自暴自棄になったものの、最低限の矜持は捨てていません。むしろ恋人を含めた他者からの哀れみを拒否する形で自我を主張し、現実と折り合いをつけようとしています。

 恐らく彼がその後の人生を前向きに選択するならば、ああした行動がもっとも自然な方向でしょう。誰も彼を救えない、彼を救えるのは彼だけである、という、つまり人生の主役は自分自身であり、主役を演じきるということ・それは孤独な作業であると作者・監督は言っているのかもしれません。

 夫々4人の内面を鋭くえぐりだすような映画でしたが、人は矜持を忘れず、自分の心に忠実に生きるべきだというメッセージを貰ったような気がしました。この世に不変というものはなく、無常感というか諸行無常の寂量感のようなものを感じました。映画館を出た後、ビルの向かい側のスターバックスでキャラメルマキアートをすすって、家路に戻りました。
(2004.02.25)

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