本書は神様の死と、人が神様からはなれて人間へと自立する物語である。と同時に、20世紀末から今日にかけて本格化した、女性による社会的台頭の真の原因を解き明かすものである。
そして、今後は未成年者など若者が、成人の男性や女性と同じ社会的存在になることを予言する。
農業が主な産業だった明治の中頃まで、働くとは大地の上で身体を動すことだった。この時代を伝統的社会とも呼ぶが、人口の70〜80パーセントが何らかの形で農業に従事していた。 トマ・ピケティの「21世紀の資本論」によれば、伝統的社会では農業はすべての経済活動の75パーセントを占めていたという。 ピーター・ラスレットは「どんな世帯も人口再生産であると同時に生産の単位であった」というのは誤った仮説であるという。 しかし、土地と結びついた家族こそが生産組織だったことは、どんなに強調しても強調しすぎということはない。家族が生産組織だったから、家族には後継者つまり子供が不可欠だったのだ。 伝統的社会では、石炭や石油エネルギーがなかった。そのため、牛馬を除けば人の身体だけがすべての動力源だった。男も女も大地の上で、身体を使って働いた。 今でも、仕事をすることにたいして、汗を流すと言うことがあるのはその名残である。 明治以降、人々は工場で働くようになり、労働の対象は土地から物になった。 不動の土地から可動の物へと労働対象が移ると、人は働く場所を求めて移住したので、根無し草=デラシネと呼ばれるようになった。今日では家族は生産組織ではなくなり、生産組織といえば工場とか会社を意味するだろう。 今では農家や自営業者は壊滅的にへって、雇われて働く給料生活者が労働人口の90パーセント近くを占めている。会社における被雇用者の地位は相続できない。 子供は自分の職業を探さなければならない。だから、家族には後継者が不要になり、子供の意味が変わって子供が減った。 20世紀末から21世紀にかけて、無形の情報が有償で取引されるようになってきた。仕事にはコンピューターが使われ、デジタルな思考が普及し情報社会が到来した。 いまや労働の対象は、可動の物どころではなく見えない情報なのだ。情報社会で働くには、屈強な腕力はまったく不要である。 人類の歴史上、労働の対象は土地↓物↓情報と変わってきたが、人間の身体の構造は変わらない。だから、男と女がいて子供が生まれるのも変わらない。 しかし、子供の作り方は変わるかも知れない。そして、育て方は確実に変わるだろう。なにしろ労働対象が、煙よりも軽い情報なのだから。 (2022.2.1) 「匠研究室」のトップにもどる |