幸いなことに重大な麻痺も残らず、ほんとうに軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。
脳梗塞の患者が増えている。
そう思っていた矢先、大学時代の友人が、脳梗塞で入院した。本人からの電話だったので、それほど重症ではないらしい。とりあえず一安心だが、それでも彼はメゲげている。その彼の見舞いに行ってきた。
唇の右側がちょっと歪んでおり、水を飲むのが辛そうである。そして、左手に軽い麻痺が残っているという。しかし、自分のことは自分でできるし、1人で歩くこともできる。不幸中の幸いと言うべきだろうか、日常生活はふつうにできる。
良かったと思うと同時に、彼を見ながら、2年近く前の自分を思いだしていた。ボクも後遺症はほとんどなかった。わずかに右手が浮腫むとか、右手先が冷たくなる、といった程度である。肉体的な後遺症はなかったが、落ち込んでいた。
この日記の読者には、バカなことばかりやっているボクは、落ち込んでないように感じられるかも知れない。しかし、ボクもメゲて、落ち込んでいたのだ。
何にメゲて、落ち込んでいたのだろうか。とにかくメゲていた。
気がつくと、下を向いていた。病気の人が堂々と正面を向いている、そんなことは少ないかも知れない。
でも、頭をやられた脳梗塞患者は、ひときわ下を向く。彼もボクと話していながら、いつの間にか下を向いている。叔父さんもそうだった。
世の中には足の不自由な人もいるし、言葉がしゃべれない人もいるが、彼等はメゲてはいないし、落ち込んでもいない。それに対して、頭をやられた脳梗塞患者は、ほとんどの人が落ち込んで下を向いてしまう。
意欲の減退、おそらくこれが本当の後遺症なのだろう。リハビリが後遺症には有効だといわれているが、リハビリは意欲がなければできない。メゲて下を向いては。リハビリに気が向かない。
4月の末に脳みそが流れてから、ボクは意欲の減退を感じなくなった。物忘れが少なくなったことは前回書いたが、意欲はいつの間にか、以前の状態に戻っていた。だから、メゲを自覚していなかった。でも、発症直後の友人を見ていると、下を向いてしまう自分を思いだした。
発症直後は、脳梗塞のせいで能力が落ちたのか。単なる疲れとか、老化で能力が落ちたのか、まったく自信がなかった。自分に自信がないから、メゲて落ち込んでいたのだ。
どうやら脳梗塞の呪縛から、解き放れたように感じる。おそらく冬になれば、また右手の先が冷たくなるだろうし、右手が浮腫むこともあるだろう。また、脳梗塞経験者の再発率は、健常者の3割り増しくらいだという。
再発の恐怖から逃れたわけではない。それでありながら、ボクは2年たって、どうやら脳梗塞から自由になりつつある。
ベッドに座っている目の前の友人は、まだまだ落ち込んでいる時間から逃れられないだろう。しばらくメゲているだろう。しかし、彼も幸いにも軽かった。
肉体的な後遺症より、メゲや落ち込みを脱するほうが大変だ。
メゲや落ち込みから脱して、はやく昔の彼にもどって欲しい。