幸いなことに重大な麻痺も残らず、ほんとうに軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2008年4月21日(月)

−退院後 第14回− 叔父が脳梗塞で入院

 自分が脳梗塞になった話を書いているが、先週、ボクの叔父が脳梗塞で入院した。
 さいわいに大した症状はでておらず、ベッドの上に座って食事をしていた。後遺症を心配したのだが、やれやれと一安心である。

 彼と話していて、すでに最近の1ヶ月前くらいから、話すのが億劫になっていたという。何かを話題にしようとするのだが、考えているうちに徐々にどうでも良くなってくる。彼はいつもだと、考えている間もなく、口に出しているのだが、発症前には考えている時間が長くなり、発語が億劫になった、という。

ボクも同じ症状を感じていた

 テレビを見ながらとか、食事をしながら、誰でもくだらない話をするだろう。その日に仕事で体験したこととか、電車内で見た風景とか、話題と言っても、つまらないささないなことだ。
 ささいな話題が、家族の潤滑油になっているから、ほんらいは疎かにはできない。
 大事な話なら、きちんと伝えている。重要だと思えば、おっくうに感じても、あえて発語する。ささいで、どうでも良いことだから、億劫に感じれば黙ってしまうのだ。

 脳梗塞には発症の前触れがあるというが、それはしびれとか、めまいとか、身体的なものが言われるだけだ。
 発語が億劫になるという例は、あまり書かれていない。しかし、発語できないことこそ、失語症と構音障害という言語障害の最たるものであろう。

 しかも、他の前触れが1週間以内というのに対して、発語に対する億劫さは、1ヶ月以上前から感じていた。それは叔父もボクも同じだったのだ。

ちょっと参考になるかも