幸いなことに重大な麻痺も残らず、ほんとうに軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2006年9月1日(金)

−退院後 第3回− 退院後はじめての病院

 退院から2週間がたった。恐る恐る始めた制約の多い日常生活も、だんだんと馴染んできた。毎朝、晩に、薬を飲むこと、血圧をはかあること。塩抜きの食事。脂っこいものは、なるべく食べないように。毎日、軽い運動をするように。とまあ、老人向けのレシピがならぶ。

今日は、退院後はじめて、医者に行く

 予約が入っているので、さすがに4時間は待たされない。武蔵野赤十字病院の友人から、S医師宛の返事をわたしながら、
「的確な診療で、友人が感心していた」
というと、彼はいささか照れていたようだった。

 しかし、S医師の出身大学の話題がでたときには、
「ボクは聖マリアンナですよ」
と言った。
 その言い方がひがみっぽくて、やっぱり、出身大学コンプレックスがあるのだと、ちょっと可哀想になった。

 S医師は、いつもと変わらずに診察してくれた。血圧が若干だが不安定で、降圧剤を飲むかどうか、迷うところ。脳梗塞の入院前には、120前後に落ち着いていたし、コレステロール値も下がっているので、ちょっと様子を見ても良いのではないか。
 再発の危険性は低い。ここで降圧剤を飲むと、自然の血圧が判らなくなってしまう。そこで、あと1ヶ月は、降圧剤を飲まないで様子を見ることにしよう。S医師と相談がまとまった。抗血小板薬のバイアスピリンと、コレステロールを下げるためのメバロチンの服用が続くことになった。

 4時間待ちを改善するため、投書して欲しいといったS医師の言葉にしたがって、投書を持っていった。下記がその投書である。



川崎市立多摩病院 院長殿

 当方は、8月9日に脳梗塞で貴院に入院し、診療並びに治療を受けた者です。その節は、親切で的確な対応をしていただき、おかげさまで後遺症も残らず、無事に社会生活へと復帰できました。病院の皆様に、心から感謝しています。
 ところで、貴院のより一層の発展をねがって、1つのお願いを書いておきたいと思います。別添の紙面(この日記の最初の分を添付した)でおわかりのように、小生は同日午前10時過ぎに、第1回目のストロークに襲われ、10時40分頃に貴院の受付に、歩いてたどり着きました。やっとのことで初診の問診票を記入し、受付を終わったのが、11時03分でした。
 受付ロビーの円形カウンターで、看護婦さんらしき女性に当方の症状を訴えました。しかし、待合室の椅子に座って待つように指示されて、4時間ばかり待ちました。医師の診察が始まったのは、午後3時でした。脳梗塞という病気にとって、発症後の4時間放置が何を意味するか、専門家である貴兄には多言を要しないと思います。
 軽度の脳梗塞患者と健常者の見分けが、きわめて難しいのは承知ですが、病院にたどり着いていながら、しかも看護婦さんに症状を訴えながら、ストロークをおこしている脳梗塞患者が4時間も待たされるのは、地域の救急医療機関として問題があるのではないでしょうか。ちなみに、当方は可能なかぎり救急車を呼ぶことなしに、自力で病院へ行くべきだと考える者です。今後の患者のためにも、有効な対策を講じるようにお願いします。対策につき、ご返事をいただけると幸甚です。

 末筆ながら、皆様のご健康をお祈りします。ご自愛下さい。    以上



 多摩病院は、川崎北部の救急基幹病院である。やはり今後とも、安全で素早い診療をして欲しい。そう願っている。