幸いなことに重大な麻痺も残らず、ほんとうに軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2006年8月24日(木)

−退院後 第2回− 友人の医師の話

 友人が、武蔵野赤十字病院で脳外科の医者をしている。かつて世話になったこともあり、セカンド・オピニオンを聞かせてもらおうと、今回の報告をかねて行くことにした。
 多摩病院の主治医であるS医師は、セカンド・オピニオンの検討ができるようにと、紹介状と経過報告書それにMRのフィルムをもたせてくれた。現在では、セカンド・オピニオンを求めることが常識化しているとは言え、S医師のような真摯な対応が一般化しているとは思えない。
 S医師にはとても感謝している。

 友人の医師は、ボクが脳梗塞を発症させたことに、ちょっと驚いたようだったが、やや高かった血圧などを思い出したらしく、納得もしているようだった。実は、5年ほど前に、彼から降圧剤を処方されていた。そのとき、血圧を毎日測るように指示された。ボクは飽きやすい性格であるにもかかわらず、彼の指示に従って、毎日血圧を測って記録していた。
 しかし、血圧が140を切ることが多かったので、彼に相談することなく、薬の服用をやめてしまった。 その後も、血圧は変わらず、最近では130を切っていた。そのため、すっかり油断していた。彼の指示を守っていれば、脳梗塞の発症は防げたかも知れないと思うと、彼に申し訳ない気持ちだった。

 彼は血圧の記録を見ながら、経過報告書を読み、MRをじっくりと見ていた。 そして、おもむろに言った。

「運が良かった。あと5ミリずれていたら、びっこをひいただろう」

「…」
と、言葉のないボク。
「S医師の処置は、きわめて原則的であり、現在の医療では充分のものだ。S医師は、よく勉強している。今後とも、S医師の指示にしたがって良いだろう」
と、言葉を続けた。そして、MRのフィルムを見ながら、脳梗塞の現状や治療方法を説明してくれた。

 脳梗塞はすでに治療法が確立しているとはいえ、薬の分量や処方する時間など、難しい判断を要求されるらしい。とりわけ、3時間以内に処方するtPAは、10%を静脈注射で、残りの90%を点滴で処方するが、患者の体重など処方量のコントロールも必要だという。血液をサラサラにすると言うことは、脳出血のリスクも高まるわけで、その加減が難しいのだろう。

 ところで、多摩病院は川崎市立だが、運営は聖マリアンナ医科大学がおこなっている。この聖マリアンナ内科大学というのが、いろいろと物議をかもすことが多い。先年の医師国家試験の合格率は、全国で最低だったとか、親の七光りで入学した若者が多い、といった話題には事欠かない。そのため、地元の人たちには、バカにされてもいる。

 正直言って、ボクも聖マリアンナにはやっかいになりたくなかった。しかし、多摩病院は歩いて5分のところにあるし、ストロークに襲われているときには、病院を選んでいる余裕なかった。救急車を呼ぶこともできなかったし、多摩病院までたどり着くのがやっとだった。 思い返してみれば、どんな医者と巡り会うかも、ほとんど運だろう。

 先端医療と言っても、ほんとうに先端的な医療は、定説になったわけでないのでリスクが非常に高く、一種のギャンブルである。先端医療は副作用も大きく、どんな患者に適用するか、おおいに判断に迷うはずだ。ボクのような定型的な患者は、むしろ原則的な処置を手堅くやってくれるほうが良い。そして、病気と闘う者にたいして、援助をしてくれたほうが心強い。

 インフォームド・コンセンサスと言うが、ストロークが来ているときには、病人は判断力がない。ストローク中に聞かれても応えられない。しかし、医者は患者が治る手助けをするにすぎない。ストロークが来ているときには、医者は何もできずに、見ているしかすることがない。病気は患者自身の身体が治すものだ。

 今回の入院を振りかえると、やはり運が良かった、そうとしか言えない。病院の待合室での4時間待ちさえなければ、ほぼ完璧だったと言っても良い。