幸いなことに重大な麻痺も残らず、ほんとうに軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2006年8月19日(土)

−第11日目− ようやく退院

 午前6時起床。夕べは頭痛がなかった。おかげで爽やかな目覚めだった。この朝食が、病院でとる最後の食事になった。

 10時頃、看護婦さんが退院の書類を持ってきてくれた。それには、MRのフィルムと友人の医者への紹介状と、経過報告書が入っていた。今日は土曜日なので、事務部門が休み。そのため、入院費用は後日の精算だという。同室の人たちに挨拶をして、お世話になった看護婦さんたちにも、お礼を言う。看護婦さんの仕事は、本当に大変だと思う。

 この病院は、患者を名前で呼ぶ。これはとても良いことだ。いくら年寄りでも、若い看護婦さんからオジイちゃんなど呼ばれたら、幼稚園児ではないんだから、バカにするなと言いたくもなる。この病院は、あまりに親切すぎて、患者を幼児扱いしているのか、と最初はとまどった。
 しかし、時間がたつうちに、それも仕方ないかと、考え直すようになった。頭をやられた脳梗塞患者は、他人が見ると、まるで幼児になってしまう。本人ははっきりとした意識を持っていても、他人に対してきちんとした対応ができなくなる。反応に時間がかかる。そうした病人を相手にするには、それはそれは大変な忍耐力が必要だ。

 インフォームド・コンセンサスがいわれる昨今、反応の不確かな病人に対しても、きちんと納得させることが、看護婦さんの仕事である。人手不足のおり、気長に対応してばかりいては、埒があかない。患者が園児扱いになるのも、仕方ないことかも知れない。この病院では、幼児扱いの傾向が若干はありながら、嬉しいことにきちんと患者の名前で呼び、大人として扱おうとしている。それがわかるだけに、現場は難しいと思う。

 ところで、ボクのように軽い脳梗塞患者であっても、頭をやられると自分の認識や判断に自信がなくなる。どこまでが病気のせいで忘れたのか、どこまでが単なる物忘れなのか。言葉がでないのは、病気のためか加齢のためか。廊下でよろけたのは、病気のせいか、健常者の誰でもあることか。こうしたことに自信がなくなる。

 脳梗塞をわずらった栗本慎一郎さんは、脳梗塞の闘病を書きつづった記録が、きわめて少ない理由として、「脳梗塞になったら、あなたはどうする」(たちばな出版)のなかで、次のようにいっている。
「脳患者にはさらに、癌では起きない情動障害が起きることもある。だから自分に起きている感情を客観的に記述するのが非常に難しくなる。これが癌患者に比べて大きなハンディになる。なにしろその上、病状の機微が癌に比べて非常に複雑だ。」(P39)

 ボクのように軽い患者ですら、自分の認識に自信がなくなるのだから、重い症状を抱えた脳梗塞患者は、おそらく落ち込みきっていると思う。ふだん知的な仕事をしていればしているほど、その落ちこみは激しいはずだ。
 ガン患者は、余命幾ばくもないと宣言されて、精神的な動揺があるにせよ、判断力は正常である。だから、自分を見つめて、ガン闘病記が書ける。

 書店の店頭には、ガン闘病記はたくさん並んでいる。しかし、頭をやられて、自信を失った脳梗塞患者には、自分を客観的に見ることができない。だから闘病記を書こうと思えない。とりわけ、医者の闘病記は皆無だという。わずかに、脳梗塞から完全に社会復帰した、琉球大学の鈴木医師が「脳卒中・貴方ならどうする」(大修館)や看護婦の長谷川幸子さんが「リハビリ医の妻が脳卒中になった時」(日本医事新報社)などを書いている程度である。

 そうでありながら、頭のなかのことは、いまだによく判ってない。言葉がしゃべれないだけで、きちんと理解していても、それが周りの人には伝わりにくい。だから、廻りに人たちも、脳梗塞をわずらった医者の診断や、弁護士の判断、建築設計者の判断には、不安感がぬぐえないだろう。ましてや脳梗塞から復帰したパイロットに、操縦桿を握らせるだろうか。

 この11日間、特異な体験をし、さまざまに考える機会を与えてくれた脳梗塞だったが

今日で退院である

 今後は、薬の服用と、食生活の管理、そして運動の励行が待っている。次の診察は、2週間後の9月1日の金曜日である。
 暑い夏の正午すこし前、11日ぶりに屋外にでた。