幸いなことに重大な麻痺も残らず、ほんとうに軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2006年8月18日(金)

−第10日目− コーヒーの許可が出る

 午前4時30分、頭痛のために目がさめる。1時間近く、ひどい頭痛がつづく。ウトウトしかけたが、6時の起床になる。このときには、頭痛は消えていた。
 6時40分、ベッドに横になったまま採血。8時、採尿。
 すでに身体のほうは、健常者とまったく変わらない。ヒマ、ヒマ、退屈である。辛かったときには、安静にしてもいられたが、良くなると安静は退屈きわまりない。差し入れられた本を読むのみ。そして、食事制限はかかっているが、食べるのと、飲むのが楽しみ。

1日1,2杯なら、と制限付きで、コーヒーの許可もでた

 コーヒーは神経を活性化させるが、大量に飲むと頭に影響がでるらしい。ボクは今まで1日に10杯くらい飲んでいた。今後は、食後のコーヒーだけになってしまった。朝食後に、2階の軽食堂で、コーヒーを楽しむ。250円のコーヒーは、スタバには負けるが、ドトールくらいには充分に美味しかった。
 ところで、この病院では、食事を2つのメニューから選ぶことができる。1週間に一度、献立表が回ってきて、希望するほうに○をつける。すると、2日後くらいから、希望した食事がでる。そして、毎食ごとに、かわいいメニューカードが付く。カロリーや食塩の量などが記されている。退院後の参考にせよ、ということだろうか。

 午後3時、リハビリ。そのあと、入浴。ここが病院でなく、身体が悪くなかったら、ほんとうに天国のようだ。親切な看護婦さんたちに囲まれ、上げ膳・据え膳で、しかも医者つき。8月の暑い日々、ボクは完全空調のきいた室内で、暑さ知らずの時間を過ごしていた。
 午後5時、薬剤師が薬の説明に来た。前回の男性とは違って、今度は女性の薬剤師だったが、これまた親切。何か問題はないかと聞く。
「特に問題はないが、頭が痛い」
という。すると彼女は、
「プレタールの副作用ではないか。わずかな例だが、プレタールには頭痛がでる場合がある。薬を変えるか、S医師と相談してみる」
という。<ほら、みろ。やっぱり、関係あるジャン>
 その直後、S医師がとんできて、言った。
「バイアスピリンに薬を変えます」
 この病院では、バイアスピリンよりプレタールを処方する例が多いらしく、プレタールの処方が一種の標準仕様になっているようだ。何人もの医者がいて、処方が定型化しているなかで、自分だけ違った処方をするのは抵抗があるのだろう。効力が同じであれば、病院標準の薬を処方したいのが、組織人たる医者の心理だ。
 バイアスピリンかプレタールかの違いは、それほど大きな問題ではないだろうが、大勢とちがった処置をするのは勇気がいる。万が一、病院の標準とは違った処置をして、訴訟になったら、病院という組織は味方になってはくれない。自分一人で責任を引き受ける、それは非常な困難を強いることだ。
 S医師や薬剤師の口からでた言葉は意外だった。

「痛さをがまんさせて、申し訳なかった」

 バイアスピリンは古くからある薬で、脳梗塞にたいして世界中で標準となっている。そのため、処方例は山のようにある。それに対して、プレタールのほうが新しい薬で、処方例が少ない。しかし、やや効きが良いという報告もある。ここで選択に迷うのは、技術者であれば当然だ。
 一般論として、患者に薬を選択させることはできない。では薬の内容をよく説明すれば、それですむ問題か。そんなことはない。ストロークが来ている最中に、どちらの薬にしますかと聞かれても、また丁寧な説明を受けても、ボクだって返事はできない。患者の知識は、症状が良くなってからの後付でしかない。

 医者の医療行為は、日々の職業である。職業人としては、ヘマもするし、うっかり間違いもするし、知らなかったこともある。電話のかけ忘れなど、誰でも日常的にやっている。医者だって同じだろう。夫婦喧嘩の翌日は、イライラしているはずだ。しかし、患者は自分がはじめて経験する、自分だけのたった1つの脳梗塞である。医者に間違われたら、自分の命にかかわる。
 今回、大きな病気を体験して、医者と患者の温度差は、やむを得ない。そう感じた。間違いをゼロにするのは、不可能だ。問題に直面したときに、
「痛さをがまんさせて、申し訳なかった」
患者にこう言える姿勢だけが、命を扱う医者として、あるべき職業人の心構えだろう。

 この病院は、良いスタッフに恵まれている。真摯な薬剤師が、患者の言うことをよく聞く。そして、主治医に報告する。そして、スタッフの言葉に、耳を傾ける度量の広い医者。バイアスピリンかプレタールかなど、ささいなことだろう。しかし、これこそ良い組織なのだ。
 いよいよ明日は退院である。