幸いなことに重大な麻痺も残らず、ほんとうに軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2006年8月15日(火)

−第7日目− 24時間の心電図

 午前0時、頭痛のために目が覚める。しばらくウトウトする。やがて寝入ったのだろう。しかし、午前4時頃、また頭痛で目が覚める。好青年のS医師は、脳梗塞とは関係ないと言うが、ほんとうかな〜? と思ってしまう。
 6時30分に目が覚めたときには、頭痛は完全に消えていた。

 9時、眼科に行く。じつはボクには、5年ほど前から中心性網膜症という持病があり、眼のピントが合わせずらいのである。右目と左目では、物の大きさが2割くらい違って見える。それで歪んだ性格になったと言うわけではないが、少し不自由を感じてはいた。脳疾患が目にでることもある。目と脳は多いに関連がある。脳梗塞だから、眼への影響もあるかも知れないと、いちおう検査と言うことだった。

 前日に予約が入っているので、眼科は待たされなかった。瞳孔を開くために、目薬を入れられる。薬が効いてくるまで、30分くらい待つ。これは仕方ない。
 眼のほうは、特別に問題はないという見立てだった。自然治癒しているのでは、とも。問題はないといわれたが、左右の眼で違って見えるのはかわらず、何となく承服しかねる診断だった。

11時から、24時間の心電図をとるため、1階の検査室へと向かう

 上半身裸になって、横になる。心臓のまわりに、ピップエレキバンのようなパッチを貼っていく。6ヶ所くらいだろうか。そこに細い電線をつなぐ。電線は携帯電話よりやや大きめのボックスにつながっている。これだけだから、自由に動けるのだが、横になるにはボックスが、ちょっと邪魔である。

 心原性の脳塞栓とは、心臓などで血栓ができ、それが脳へととんで梗塞になるパターンで、心臓に不整脈があることが多く、再発率が高いのだそうだ。そのため、不整脈のあるなしが、大きな判断材料になる。不整脈はいつ発生するかわからないので、日常行動をしながら24時間にわたって心電図をとるのだという。機械をつけたので、これで少し病人らしくなった。

 午後3時、またリハビリに行く。重度の後遺症が残った人たちのあいだで、元気なボクがリハビリをするのは、何だか申し訳ない。しかし、すでに1週間も寝ているので、筋肉が落ちてしまった。これでは退院してからが大変だと、しっかりリハビリにはげむ。

 気の弱そうなオジサンが、うつむきながらゆっくり歩いている。彼の脇には、インストラクターがしっかりついているが、その歩き方おぼつかない。意識もやや混濁しているようだな、と思いながらリハビリに精をだす。しばらくすると、
「ほら、あんた、なにやってのよ」
と、怒鳴る声がとどろき渡った。
「しょうがないわね。ほら、こっちだと言ってるでしょ」
と、第2声。
 声のほうを見ると、大きな身体のオバサンが、リハビリのできないオジサンを罵倒している。この奥さんらしき女性は、おそらく励ましているつもりだろうが、廻りはすっかり萎縮してしまった。

 自由に動けない自分に、全員が自己嫌悪に陥っているのだ。発症前なら、何でもなかったことができない。自分でもおかしいくらいに、自分の身体が自由にならない。わかっていても、ドーンと落ち込む。頭をやられるというのは、底なしの井戸に落ちるような感じで、他の病気と違ってちょっと特別なのだ。

 ボクのような軽い症状の患者ですら、最初のうちは、自分の行動や判断に自信を持てなかった。リハビリ室にいる全員が、ボクよりはるかに重い。身体的な障害だけではなく、全員が精神的にめげている。むしろ精神の萎えのほうが、より問題ですらある。そこへ怒鳴られたら、メゲルことこの上ない。

土管のように太ったオバサンが、近くに来ないことだけを祈っていた

 6時の夕食後に、軽い頭痛がある。