幸いなことに重大な麻痺も残らず、軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。当時57歳の匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2006年8月12日(土)

−第4日目− 医師-ヤマをこえたようです

 6時半の採血で、目が覚める。夜中に軽い頭痛があったが、目が覚めると治っていた。スリルとサスペンスの48時間は経過したが、頭痛の原因がわからず、これが新たな不安となる。1ヶ所悪いところがあると、連鎖的に不安が生じる。
 8時に朝食。まだ、全粥である。そして、ベッドの上での食事である。食後しばらくして、入院後始めての大便がチョビッとでる。すべて点滴で、固形物を一切とっていなかったので、便にならなかったのだ。
 午後2時頃、S医師がやってくる。ストロークはもうないこと、後遺症も自覚がないこと、不快な気分ではないことなど、を伝える。

「どうやら、ヤマをこえたようです」

と、S医師が言う。こころなしか、彼の顔がゆるんでいるように感じた。明日の昼からは、普通食にするとのこと。
 夜半の頭痛を訴えるも、脳梗塞とは関係ない、とかんたんに一蹴された。<うーん、そんなものか>、と不満だった。しかし、トイレを除いて、まだベッドから動くことは許可がでていない。おとなしくS医師に従う。

 身体の調子は、平常に近くなってきた。ほかの病人とくらべると、血色もいいらしいが、いまだ厳重な警戒下にある。今日は土曜だが、月曜日からはリハビリを始めるという。
 ふつうの点滴は、重力で落ちるので、電源は不要だ。点滴をしたまま、歩き回ることもできる。しかし、ヘパリンの点滴は、24時間ぶっとおしで流量を管理するために、電動のポンプがついている。そのせいで、コンセントにしばられ、自由に動くことができない。
 電動ポンプには、電池が内蔵されているので、短時間ならコンセントから抜いても大丈夫だが、長時間はダメである。ちょっと油断していると、ピコピコと大きな警戒音がし始める。するとどこからともなく、看護婦さんが飛んできて、コンセントを差し込んでいく。これがあるので、なかなかベッドから離れることができない。

 ボクが入った病室は、4人部屋だった。入り口からみて、左の廊下側にさん、窓側に さん。右の廊下側は、空きベッドで、誰もない。そして、窓側にボクである。この病室は、比較的症状の軽い人が入っている。それでも、脳梗塞はやられた場所によって、表れるまったく症状が違う。
 言語脳をやられたさんは、会話が不自由になった。
「ほら、あれ、あれだよ。わかるだろ、あれ。えーと、来年…」
話の文脈から、こちらが想像して、合いの手を入れる。
「来週じゃない?」
「おっ、そうそう、そうだよ、来週な、来週だよ。うーん、いいな。ほれ、あれあれ、えーと…、病院にだ」
 すでに病状が固定され始めたせいか、症状に間歇性はない。しかし、彼は意味のある文脈を、連続的にしゃべることができない。
 言葉を発しているから、本人が理解しているかと思うと、その内容を数時間後にはまったく覚えていない。看護婦さんが検査の同意を求めるにも、困難をきわめていた。
 さんは、言語障害をのぞけば、ほかには何の障害もない。がっしりした身体で、一見するところは、健康そのものである。彼は朝起きると、まっ先に顔を洗って歯を磨き、ひげを剃る。整髪料をつけ、髪をブラッシングし、脇の下には芳香スプレーを使う。身だしなみに気を使うさんだけに、症状はとても悲劇的だった。

 人間の脳は精密にできている。理解する脳と、理解した結果を表現する脳は、分担する部分が違う。ボクは表現する脳をやられたので、廻りの言うことは全部理解できていたが、ストロークに襲われているときには、自分でもおかしいくらいに言葉がでなかった。
 理解する脳をやられた場合には、失語症といい、理解はできるが発語できないときには、構音障害というらしい。いずれにしても、困った障害である。ボクの場合には、幸いなことに軽くてすんだが、重症になると日常生活に、大きな支障がでる。
 このまま全快して欲しい、そう願う日々だった。

 軽い症状の患者ばかりの病室だったが、なかでもボクはひときわ軽かった。 前の さんのところにきた見舞いの方から、
「どちらがお悪いのですか」
と聞かれてしまった。たぶん健康そのものに見えたのだろう。
 ほかの患者たちと比べると、あまりに軽くて、入院しているのが申し訳ないと、自分でも思った。しかし、この日からつけ始めたメモを見返してみると、文字が大きく乱れて、漢字を思いだせなかったらしく、カタカナ書きが多い。そのうえ、行がグチャグチャでまとまっていない。
 日を追うごとに、メモはきちんとした字になって、行もまっすぐになり、すっきりとした文章になっていったから、やはりボクも病人だったのだ。