幸いなことに重大な麻痺も残らず、軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。当時57歳の匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2006年8月11日(金)

−第3日目− 脳波の検査

 2時間ごとの深夜の検温と、血圧測定のために、しばしば目が覚める。時間がたつにつれ、ストロークがくる可能性が低くなる。徐々に不安感が薄れていく。しかし、まだ絶対安静は続く。48時間というのは、そうとうに確かな経験則らしい。
午前6時30分、採血。このころから、2時間おきの検温、血圧測定が、3時間おきになる。やや安定期に入ったのだろう。

10時、脳波の検査

 身体の大きな若い男性が、ブック型のコンピュータをワゴンにのせて、部屋に入ってきた。身体が大きいと感じたのは、こちらが寝ているためだと、あとでわかった。ベッドに横になったまま、頭に粘土がペタペタと貼られていく。そこに細いコードがつながれる。脳波を取るのは、てんかんの可能性をつぶすためだろう。

 16分間の検査だった。
粘土のあとが気持ち悪い。べつに痛くも何ともない検査だが、何しろ体を動かすなというので、いささか苦痛になってきた。温かいおしぼりで、ていねいに頭を拭いてくれる。感謝である。

今まで言わなかったが、この病院は、職員が皆とても感じがいい。
 これは感動的に、ほんとうの話だ。医者から看護婦さん、薬剤師、検査官から、事務の人、そして掃除のおばさんまで、全員がじつに親切だった。
 世の中では、威張っている医者が多いなかで、S医師を初めとして、みな実に謙虚である。多摩病院を支える全員が、患者の闘病を少しでも気持ちよくさせてやろう、と考えているのがきちんと伝わってくる。仕事にとりくむ姿勢は、是非こうありたい、と教えられた。

 さて昼前に、部屋の移動が言いわたされた。ナース・ステーションの近くに、おいておく必要が下がってきたのだろう。ベッドに横になったまま、4人部屋へと移動である。そして、トイレに行っても良いとの許可がでる。
 これは嬉しかった。なにせ、点滴の量が多いので、ひんぱんにシビンのやっかいになったのだ。
 11時から、MRの検査。
まだ安静がつづくので、点滴を吊したまま、車椅子で検査室に向かう。単独行動禁止。すべて看護婦さんの紐付きである。
 ストロークが来なければ、自覚症状はないので、ボクは元気な患者である。こんな元気な患者が、予防のためにだけ、車椅子に乗る。何という贅沢かとも思うが、万が一、ストロークがきたら紐付き程度ではすまない。予防したほうが結局は、看護婦さんの仕事が少なくなるのだろう。

 この昼で、最初のストロークから48時間経過。栄養補給の点滴がはずれ、口からの食事に変わる。しかし、治療薬の点滴は続く。まだベッドの上から、動いてはいけないと、S医師は言う。電動ベッドをおこして、ベッドの上で食事をする。全粥だったが、美味かった。
 この病院だけなのだろうか、それとも最近は病院食も、美味くなっているのだろうか。と、考えながら食べていたが、次の食事は、あまり美味く感じなかった。空腹にまずいものなしだったのだろうか。

 午後2時、足の超音波検査。また、車椅子で検査室に向かう。ボクは検査室の入り口で、看護婦さんから検査官にひきわたされる。薄くらい室内には、機械がならんでいる。検査官がベッドに横になれと言う。足の付け根から、膝の裏と、静脈の鬱血を確認。エコノミー症候群を調べるのだろう。

なんと、これが超美人の検査官だった。

 すでに50歳くらいだろうか、若いときにはさぞや美人だったろうと思わせる。歳をとっても、すこしも色香が衰えていない。素敵なイヤリングをして、きりっとした顔つきは、仕事には厳しそう。薄くらい検査室に、超美人の検査官と2人きり。
「失礼します」
と、彼女は何気に、ボクのパンツに手をかける。
 そして、返事を待つまでもなく、素早くパンツをさげた。すれすれのところで、パンツはかろうじて止まった。ボクの気持ちなどまったく関係なし、検査官はモニターを見つめては、ただ黙々と、ボクの身体の上のテスターを動かしていた。
 20分くらいたつと、
「はい、お疲れさま」
と、お迎えの看護婦さんに、ボクは引き渡された。
 病室に戻ると、またベッドの上。じっとしたまま、3日目がすぎていった。