幸いなことに重大な麻痺も残らず、軽い脳梗塞でした。でも、自分では気が付かないおかしなところがあるかもしれません。当時57歳の匠雅音が、ベッドの上で過ごした11日間の記録と、その後日談です。
 脳梗塞という言葉はよく聞きますが、たいていの人は「まさか自分が・・」と思っているのではないでしょうか。ボクももちろんそうでした。だから初期症状が出ても脳梗塞とはまったく気が付きませんでした。
 脳梗塞に襲われたときに「あっ、これはやばそう」と疑えるように、出来るだけ細かく当時を思い出してみました。脳梗塞の治療は、ある意味時間との勝負になります。人により症状は異なるでしょうが、イザというときのために脳梗塞の初期症状がどんなものか知っておいても、決して損はないと思います。

2006年8月9日(水)

病院にたどり着くまで

 朝8時45分頃、いつものとおり、事務所にはいる。パソコンのスイッチをいれて、コーヒー・サーバーにコーヒーをセットする。9時ちょうどに電話が入り、数分後にまた電話がはいる。電話がおわると、コーヒー・カップをもって、パソコンの前に座る。そして、やりかけだった図面の続きを、描き始める。

「あれ〜、ポインターがうまく動かないぞ。電池でも切れたのかな」

 マウスを動かしても、ポインターが思うとおりに動いてくれない。無線マウスをつかっているから、電池切れかと思ったが、そうでもないようだ。
 モニター上の線に、ポインターをあわせようとしても、なかなか上手くいかない。

そのうち、マウスが握れなくなってきた。

「おい、マウスを握れ」

と、自分に命令する。
やっと、マウスに手がのるが、こんどは人差し指がクリックしない。

「左クリックだ。指先を押せ」

必死になって、自分に命令する。
 そのうち、マウスになんか気を使ったことがなかったので、マウスを動かそうと自分に命令している自分に、おかしいなと思い始める。クリックできない自分を、おかしいと思う自分がおかしい。
 マウスがばかに重くなってきた。左手でもってみると、いつもの軽さである。へんだな〜と思いつつ、一呼吸おくために、コーヒーを飲む。慌てていたのだろう。コーヒーが口からこぼれてしまった。
「まじい、まじい」
 と頭をかきながら、机をふく。

 肩を回したり、首を曲げたり、ちょっと運動をする。そして、再度マウスに挑戦である。しかし、この時、ゆっくりとだが、右手先の自由を失っていった。

これが脳梗塞の始まりだった。


 事務所のなかを歩いてみるが、何でもないようでいて、何でもありそうだ。右手と左手の感覚が、こんなに違うことはおかしい。いま、事務所には1人きりなので、ほかの人に確認してもらうことができない。困ったなと思いながらも、状況は改善されるどころか、徐々に悪くなっているようだ。

 これは医者に行かなけりゃ…。

 川崎市立多摩病院が近くなので、歩いていくことにする。落ち着いて決断しているように書いているが、じつはどうやって行くか考えることすらできなかった。救急車を呼ぶことも思いつかなかった。気がついたら、道を歩いていた。

 その時もっていたのは、不思議なことに保険証だけ。携帯電話も、手帳もなんにも持たずに、事務所をでてしまった。

 病院に着いたのは、10時40分くらいだろうか。診察の申込みをして、アレルギーなどの事前申告をする。何科にかかったらいいのか、看護婦さんが相談にのってくれる。総合診療科にきまる。正式な受付が終わったのは、11時03分だった。そして、待合室の椅子に座って、待つように指示された。

 30分、1時間、2時間、と待ち続けた。
おかしかった症状が、なんとなく引いてきた。
ただ座っているだけだが、右手も自由になったような感じがする。

 まだ、待たされるようなので、このまま帰ろうかと考え始めた。
いったい、どのくらい待たされるのだろうか。とうとう、受付の女性に聞いてみた。

「あとどのくらいですか」
「あと4人目ですから、もう少しです。」
「そうですか」
すごすごと、椅子に戻る。
 3時間半たった頃、やっと、中待合室にはいるように、電光掲示板に指示がでる。やれやれと思いながら、中にはいる。
 しかし、そこでも待たされた。

医者の前に座った時には病院に着いてから、4時間が経過していた。